◎国と天皇陛下のために戦死した人々を顕彰するための碑☆|沖縄放浪日記

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2015年6月29日月曜日

◎国と天皇陛下のために戦死した人々を顕彰するための碑☆

ど~も~☆彡

昨日は、『沖縄及び北方対策大臣杯 第22回アワモリカクテルコンペティション』が開催されてたんですけど、一昨日の土曜の夜に、いつものBARでちょっと飲み過ぎちゃいまして、結局二日酔いが酷くて行くことが出来ませんでした。。。( ̄▽ ̄;ハハッ。。。

次回からは、深酒しないよぉに気をつけなきゃいけませんね。。。ヽ(^。^;

さてさてさて☆

以前、読谷村にある『掩体壕』を見学しに行った時のお話をしましたが、この『掩体壕』のすぐ近くにも『戦跡』があるんですよ☆

沖縄県中頭郡読谷村座喜味にある『忠魂碑』
忠魂碑
こちらは、読谷村役場のすぐ近くにある『読谷村運動広場』の北側、『読谷村体育センター』横にあるテニスコートのすぐ傍にあります☆

この読谷村の『忠魂碑』は、読谷山国民学校(読谷山尋常高等小学校)の敷地内にあったそうで、最近の調査では昭和10年に建立されたものであることもわかったんだとか。
そもそも、『忠魂碑』とは、日清戦争や日露戦争で、国家や天皇陛下のために戦死した軍人や軍属の忠義の魂を顕彰するために自治体で建立したもので、日露戦争後に、全国に広がったみたいです。

国家や天皇陛下のために戦死した人々の魂を『英霊』として賛美する風潮も、全国的に広がっていき、戦争へ行くことが、天皇陛下や国家に対して果たすべき大義として、徹底的に教え込まれたんだそぉです。。。

この『忠魂碑』の説明板や読谷村役場のHPの説明によると、『忠魂碑』と『慰霊碑』の違いについて説明されています。
忠魂碑の説明板と碑文が残ってる時の写真
『忠魂碑』は、国家や天皇陛下の為に戦って亡くなった人々の魂を『顕彰』(誉めたたえて世間に広く知らしめること)するための碑。

そして、『慰霊碑』は、沖縄戦をはじめとする各地域で起こった戦争で亡くなられた全ての人々の霊を、『弔い』、『慰め』、二度と凄惨な戦争は繰り返さないとする『祈り』と『決意』を込めて建てられた碑との事です。

以前、この『忠魂碑』には碑文が書かれていたらしいんですが、何者かによって削られてしまい、その時の説明板も持ち去られてしまったんだとか。。。
丸く抉れているのは、米軍の艦砲射撃の際に被弾した弾痕との事
現在は、削られた碑文の横に揮毫者(きごうしゃ)の『陸軍大将 鈴木荘六書』と刻まれているのが残っているだけです。

読谷村によると、碑文や説明板を壊した人は、過去の軍国主義の忌まわしい遺物として壊したのだろうとしていますが、この『忠魂碑』も、物言わぬ証言者として残し、今後の戒めとして残すべきと考えているんだそぉです。

太平洋戦争が終戦を迎えた直後、GHQの指示により、戦争を賛美することを禁止したので、かなりの数の『忠魂碑』が撤去されたみたいですね。

読谷村にあるこの『忠魂碑』は、戦時中の風潮を今に伝える証人として、2009年1月に村指定史跡に指定したとの事です。

戦死者の魂を顕彰するための碑だったにもかかわらず、軍国主義の思想を国民全員にたたき込むための象徴として利用してしまい、その結果、さらに多くの人々を死地に追いやることになってしまうとは、なんとも皮肉な話ですね。。。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『忠魂碑』☆

☆場所:〒904-0301
      沖縄県中頭郡読谷村座喜味2901

☆時間:自由見学

☆入場料無料

☆駐車場無し

☆トイレ無し