◎昭和9年10月に旧普天間~与那原線の開通を記念して建立された碑☆|沖縄放浪日記

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2015年11月14日土曜日

◎昭和9年10月に旧普天間~与那原線の開通を記念して建立された碑☆

ハイサぁ~イ☆

夜になって沖縄本島は、雨風が急激に強くなり、もの凄い大雨に見舞われておりますΣ( ̄□ ̄;!!

午後7時半には、沖縄本島中南部と北部の一部地域に『大雨・洪水警報』と、沖縄全域に『雷注意報』が発令されました。。。

この大雨は、今夜遅くまで続く見込みとのこと。。。

そして、今現在発表されている明日の予報は、降水確率が30%となっているものの、曇り・晴れの見込み( ̄▽ ̄;

ここ最近、天気がコロコロ変わって大変なので、早く安定してほしいものですね。。。

さてさて☆

この前、『若南原の石橋』と『新垣の石橋』を見学した後、いったん県道35号線に戻り、今度は、この県道35号線が開通したことを記念して建てられた記念碑を見に行ってきました☆

沖縄県中頭郡中城村字新垣にある
『県道開削記念碑』
県道開削記念碑
こちらは、中城村の県道29号線県道35号線がぶつかる『新垣』の交差点から、県道35号線に入り、そのまま直進していくと、左側に『新垣区民間』がありますので、その区民間と道路の間に建てられてます☆

中城村の公式HPによると、当時、新垣集落は交通が不便で、道路の開通は集落の人達の長年の悲願だったそうです。
劣化がかなり進んでおり、碑文はかろうじて読めるくらい。。。
記念碑横に建てられた説明板によると・・・
≪かつての新垣集落内の道はほとんど石畳道で、道幅が9尺(約2m70cm)しかなく、馬車がようやく通れるぐらいの道幅でした。

自動車が通れないため集落の外から物資を運ぶときはすべて馬の背と人の肩に頼るほかなく、区民は大変困っていました。

その状況を見た新垣出身の伊佐善則・善俊親子は村・県議会を動かし、自動車も通れる幅の広い道の実現に向け東奔西走しました。そして伊佐親子の努力と新垣区民の団結により、新垣にとって長年の夢だった、県道35号線(旧普天間~与那原線)が開通しました。

この県道の開通記念と、伊佐親子の功績をたたえ、昭和9年(1934年)10月に新垣集落の青年団により県道開削記念碑が建てられました。

碑文には新垣地域の困苦の歴史と開通にいたるまでの経緯、伊佐親子の功績を称える内容が記されています。

県道開削記念碑は現在の場所から約100mほど東側にありましたが、戦後の県道拡幅工事のため現在の場所に移されました。

中城村では平成9年(1997)年3月7日に史跡に指定しました。≫
・・・とありました。
昭和9年からずーっと残ってたんですね。。。
ちなみに、説明板に登場した伊佐善俊さんは、第5代中城村長さんなんだそぉですよ~o(^-^)o

当時、この道路を造るのに対し、沖縄県側は渋っていたそうですが、伊佐善俊さんは県議会議員になって実現のために努力したんだとか。。。

現在でも、この県道35号線は、中城村の交通の要所として、たくさんの人々に活用されています♪

約80年以上も前に開通した道路が、今現在でも活用されているなんて、とても凄いことですよね(^-^)☆

この『県道開削記念碑』を見た後は、また次の史跡に向かいましたとさ(´▽`)ノ

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『県道開削記念碑』☆

☆場所:〒901-2422
      沖縄県中頭郡中城村新垣201

☆時間:自由見学

☆駐車場無し

☆トイレ無し

※道路沿いにありますので、見学の際はくれぐれも通行中の車にお気をつけください。