◎中城村奥間集落の発祥の地と沖縄戦の際に旧日本軍が構築した高地陣地☆|沖縄放浪日記

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2015年11月18日水曜日

◎中城村奥間集落の発祥の地と沖縄戦の際に旧日本軍が構築した高地陣地☆

ハイサイ♪

沖縄本島は、今日(18日)もメチャクチャ良い天気で、最高気温が30℃を越えてたみたいですねΣ( ̄▽ ̄;!!

風はあるものの、日差しが強すぎて、かなり暑かったです。。。

予報では、今日の夜は『雨』となっているんですけど、また明日(19日)も一日中『晴れ』マークになっております(笑)

なので、明日の夜、天候が安定してたら、またまた夜釣りに行く予定でございます( ̄▽ ̄)ノ☆

さてさて☆

この前、中城村の国指定文化財『ハンタ道』周辺にある史跡を何ヵ所か回り、『県道開削記念碑』を見学した後、その日最後の史跡を見学しに向かいました。

沖縄県中頭郡中城村北上原にある
『キシマコノ嶽・161.8高地陣地』
自販機横の手すりがある階段から『キシマコノ嶽・161.8高地陣地』へ向かいます。
道路左側の白い部分が『ハンタ道』。階段からまた『道』が続きます。
こちらは、中城村の県道29号線32号線がぶつかる『南上原』の交差点から、県道29号線を北上していくと、『沖縄県消防学校』の標識がある信号を右折して、その『消防学校』も通過すると、左手に、自動販売機が2台並んで設置されてますので、その自販機の横から頂上へと続く階段の先にあります。

クルマを路肩に停めさせてもらい、さっそく階段から入っていくと・・・

ずーっとずーっと奥の方まで道が続いてましたね。。。(泣)Σ( ̄0 ̄;!!
『キシマコノ嶽』は、まだまだ先です・・・
しばらくして、道が直角に曲がっている地点に到着。。。

曲がってすぐの場所に、ようやく説明板を発見しました( ̄▽ ̄;
説明板発見♪ヽ(^。^)ノ
この説明板の右奥に、『キシマコノ嶽・161.8高地陣地』があります。

まずは、説明板を読んでみると・・・
≪この山の頂上一帯は、中城村奥間集落の発祥の地として知られており、旧集落の拝所や井戸跡が残っています。

1713年琉球王府によって編纂された『琉球国由来記』には「キシマコノ嶽」、神名「天次アマツギノ御イベ」と記されています。
『キシマコノ嶽・161.8高地陣地』に続く道
手前側の岩がある部分が円形状に窪んでた場所が、古井戸跡なのかなと。。。
現在、地元ではこの山を「シマクのウガン」または「ウガンモー」と呼んでいます。

また、この山の上には第二次世界大戦末期、日本軍が構築した監視所や塹壕等の陣地が残っており、当時の標高計測値が161.8mあったことから「161.8高地陣地」と呼ばれています。≫
・・・とありました。(説明板より引用)

説明書き横にあるハンタ道の『平面図』を見ると、『キシマコノ嶽・161.8高地陣地』に向かう途中に『古井戸跡』と表記されてました。

すると、実際に向かう途中、岩と岩の間に円形状に窪んだ場所があり、この場所意外には古井戸跡らしき場所は無かったので、たぶんこの場所が『古井戸跡』なのかなと。。。

んで、そこを通過して、少し急な勾配を上がっていくと・・・ありました!!
下部の琉球石灰岩部分が『キシマコノ嶽』
上部が『161.8高地陣地』の監視哨(トーチカ)
実は、こちらに到着した時、草刈り作業中の人達がいて、その中のお一人に話を聞いてみると、周辺の草木が生い茂ってたり、『キシマコノ嶽』上部にあるガジュマルの木の枝が伸び過ぎて、見学しづらくなっていたので、草刈り作業に来たとのことでした。

なので、ワタクシが見学に行った時は、さっぱり綺麗になっており、メッチャ見学しやすかったですよん(^_-)-☆

まずは、『キシマコノ嶽』から。
キシマコノ嶽
岩の下の方には穴があいており、入口が狭かったので中には入りませんでしたが、ちょこっと覗いてみると、とても広い感じがしました。

この空洞は、『161.8高地陣地』の塹壕だったみたいで、この一帯には、小さな壕もいくつかあるみたいですね。

空洞入口には、イビと呼ばれる香炉が設けられており、拝所になっています。
『キシマコノ嶽』のイビ(香炉)と『161.8高地陣地』の塹壕
続いては、『161.8高地陣地』の監視哨(トーチカ)。

塹壕横から、ゆっくり登っていくと。。。

だいぶ劣化が進んではいるものの、比較的綺麗な状態で保存されてましたね。
『161.8高地陣地』の監視哨(トーチカ)
監視哨内部
北側の銃眼
東側の銃眼。この下に大きな岩があったので、それが落ちてこの穴があいたのでは。。。
西側の銃眼
この銃眼から、監視したり、銃口を出して応戦したりしてたんですねぇ。。。

こちらでの戦闘は、1945年4月5日・6日の二日間に渡って行われたみたいですが、迫りくる米軍を善戦して撃退したんだそうですよ。

しかし、こちらでの戦闘はかなりの激戦だったらしく、守備していた総員は約100~150名くらいいたみたいですが、生き延びた兵は、わずか20名あまりだったとのことです。。。
監視哨(トーチカ)入口横から上に延びる階段があります。
この監視哨(トーチカ)出入り口横には、その上に上がれる階段があります。

さすがに屋根には登りませんでしたが、注意しながら少し上がってみると・・・

東側は、勝連半島方面が一望でき、西側は、現在の北谷町や宜野湾市、浦添市方面を一望できましたね!!
勝連半島方面
中城村新垣集落方面
奥:北谷町方面。手前側:宜野湾市
浦添市方面。『沖縄電力』の煙突が見えます。
・・・と!今回の『ハンタ道』散策は、ここで終了致しました。

まだまだ『ハンタ道』の周辺やその他の中城村内には、いろんな史跡があるみたいなので、また時間を作って散策しに行きたいと思いますヽ(^。^)ノ

今回は、かなり長くなってしまいましたが、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『キシマコノ嶽・161.8高地陣地』☆

☆場所:〒901-2423
      沖縄県中頭郡中城村北上原

☆時間:自由見学

☆駐車場無し

☆トイレ無し