◎尚円王と安谷屋ノロとの間に生まれたとされる人物のお墓や拝所などがある公園☆|沖縄放浪日記

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2015年12月18日金曜日

◎尚円王と安谷屋ノロとの間に生まれたとされる人物のお墓や拝所などがある公園☆

ハイサぁ~イ☆

今日の沖縄本島は、夜明け前までは、時折小雨が降ったりして、微妙な天気でしたが、次第にいい天気になりました☆

天気予報では、来週の火曜日まで晴れる見込みで、水曜日からはまた天気が崩れるとのこと。。。

ですが、向こう一週間は、最高気温が20度を超える見込みなので、少し暖かくなるみたいですね♪

あとは、風が収まってくれるといいんですが・・・( ̄▽ ̄;

さてさて☆

この前、沖縄自動車道北中城インター近くの高台にある公園に行ってきました☆

この公園のすぐ隣には、琉球王国第二尚氏王統の初代国王『尚円王』の子供言われる『中城若松』が城主となったグスクがあり、園内にはその『中城若松』のお墓や拝所があるとのことなので、ちょっと見学しに行ってきました☆

沖縄県中頭郡北中城村安谷屋にある
『若松公園』
北中城村の『若松公園』入口☆
こちらは、北中城村の国道330号線県道81号線がぶつかる『石平』の交差点から、県道81号線に入り二つめの信号を過ぎて、右側に『OASIS Mansion』と書かれた5階建てのアパートがあり、そのアパート横の道から入っていくと、右側にあります☆

公園入口には、琉球王国・第二尚氏王統の初代国王『尚円王』と安谷屋のノロ(祝女)との間に生まれたと言われる『中城若松』と、玉城朝薫の組踊『執心鐘入』に登場する宿の女『座主(ざす)』の像が、階段を挟んで両側に建てられてます。
中城若松(左)と宿の女『座主』(右)の像
中城若松の像の土台にある説明版には・・・
≪中城若松(一名、安谷屋の若松)は、この地に生育し、長じて趣里に召され、真和志間切上間村の地頭職に就き、章氏の始祖となり、没後この地に移葬されたと伝えられる。

この若松公園内に、若松の墓、若松の母と夫人の墓があり、生誕屋敷にあったヒーヌカン(火の神)が残存する。若松は、『おもろさうし』にも謡われ、幼少時におもろ歌唱の名人、あかのこと出会い、心根のやさしい少年として称えられている。

玉城朝薫の組踊『執心鐘入』は、中城若松にかかわる故事を踏まえて創作されたといわれる。中城若松ゆかりの地に、若松公園の開設を記念し、組踊の容姿端麗な中城若松と艶麗な宿の女の像を建立する。
一九九一年 二月吉日≫
・・・と、書かれていました。

『中城若松』と『座主』の像の後ろには、中城若松を詠った『おもろさうし』の碑があります。
中城若松を詠った『おもろさうし』が刻まれた碑
また、若松公園入口前の道をさらに奥に進んでいくと、拝所となっているカー(井泉)『チブガー』があります。
拝所となっている『チブガー(井泉)』
中城若松を詠った碑を通り過ぎると、公園の遊歩道に出ます。

遊歩道に設置された案内板後方には、小さな丘があるんですが、そこは『与那覇(ユナハン)岳』と呼ばれ、頂上には『中城若松の墓』があります。

丘の頂上に登るには、公園の裏手側にある階段から行くことができます。
公園内にある展望台からみた『与那覇(ユナハン)岳』
展望台から見た沖縄自動車道のトンネルの右上にある『ヒニグスク』
公園裏側に回ると、そちらにも公園入口があるんですが、その途中には『邊土大主之墓』があり、そのすぐ近くにもカー(井泉)がありました。
邊土大主之墓
『邊土大主之墓』のすぐ近くにあったカー(井泉)
この『邊土大主之墓』について、いろいろ調べたんですけど、詳細は分かりませんでした。。。

また、近くにあるカー(井泉)についても、拝所となってるみたいですが、何も分かりませんでしたね。

この『邊土大主之墓』がある公園裏側の入口から、丘の頂上に向かって階段がありましたが、現在は、整備工事中のため、迂回しないと頂上に辿り着けません。
上の方に見える小さな突起がある場所が『中城若松之墓』です。
迂回するために、遊歩道をさらに歩いていくと、左手に岩が見えてきます。

その岩の周辺には、小さな祠と『中城若松』の屋敷跡の『火ヌ神』が祀られた拝所、そして『カンジャーヤー跡』があります。
拝所
拝所のアップ
『中城若松』の屋敷跡の『火ヌ神』は、隣に建てられた説明版によると、もともと現在の多目的広場の中央部にあったみたいですが、広場を建設する際に、こちらに移設したんだそうです。
『中城若松の火ヌ神』と説明版
説明版によると・・・
≪火ヌ神の祠移設の経緯

この祠は、北東約七〇メートルのちてん、多目的広場の中央部にあった中城若松屋敷跡に建っていたが、広場建設のため、屋敷跡が埋められることになり、一九八九年二月十二日に現在地に移設された。≫
・・・と、ありました。

さらに、この『火ヌ神』の向かい側にある、岩の下方に、ガマのような場所があり、入口はブロックで塞がれていたんですが、北中城村の公式HPにある『カンジャーヤー跡』とは、たぶんこちらなのでは?と思います。
カンジャーヤー跡?
この『中城若松の屋敷跡の火ヌ神』から、丘陵を北西側に歩いていくと、先ほどお話した『中城若松の墓』がある『与那覇岳』に行けます。

『中城若松の墓』の横に設置された説明版によると・・・
≪若松は、中城若松とも安谷屋の若松とも称され、『おもろさうし』にもあっぱれな少年として謡われている。玉城朝薫の組踊『執心鐘入』(1719年)でも主人公のモチーフとなった人物とされている。

若松は、尚円王(金丸)と安谷屋ノロとの間に生まれたとの伝承もあり、長じて安谷屋城主になり、のち趣里に上り、上間村(現在の那覇市上間)の地頭職に就き、『章氏』の始祖となったといわれる。

死後安谷屋のこの地(通称ユナハン岳)に葬られたと伝えられる。
北中城村指定史跡 中城若松の墓
若松に関する歴史的伝承だけでなく墓所の周辺には、安谷屋発祥の地とされる安里原(俗称)に若松の屋敷跡や火の神(移設)があり、その隣には安谷屋グスク、墓の裏には若松の妻と母親の墓もあって、この地は、若松の実在を示す由緒ある場所となっている。

岩上に塔型(上に宝珠)のセメント製の祠が設置され、現在、それが墓として拝されている(香炉の後ろを墓とする見方もある)。≫
・・・と書かれていました。

この『中城若松の墓』を通過すると、丘の下の方に伸びる階段と、右側に開けた場所がありました。
『中城若松の墓』から少し離れた場所にあった展望台のような場所
この開けた場所の先には、拝所?らしきものがありましたが、詳細は分かりませんでした。

んで、下の方に伸びる階段を下りていくと・・・
崖葬墓
崖葬墓の横にあった香炉
階段を下りて行った先には、崖の麓にお墓がありました。

この一帯には、石積みの石垣や石段もありましたね。
崖葬墓からさらに奥にあった香炉
・・・と、ここまでが公園内にあった、史跡や拝所などです。

今度は、この『若松公園』と隣接する、中城若松が城主となったとされる『安谷屋グスク』をご紹介しますね☆

少し長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『若松公園』☆

☆場所:〒901-2316
      沖縄県中頭郡北中城村安谷屋131

☆お問い合わせ:北中城村役場 建設課 都市計画係:098-935-2233 内線406

☆時間:自由見学 ※施設利用は、午前9時~午後9時

☆駐車場:あり

☆トイレ:あり