宜野湾市大謝名にある集落の共同井戸と『土地の神』・『火の神』が祀られた拝所☆|沖縄放浪日記

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2016年8月29日月曜日

宜野湾市大謝名にある集落の共同井戸と『土地の神』・『火の神』が祀られた拝所☆

どーもども☆

昨日(27日)の午後、ちょこっと時間が空いたので、宜野湾市大謝名の県道251号線(パイプライン通り)沿いにある共同井戸(カー)と、そのすぐ近くにある拝所を見学しに行ってきました。

沖縄県宜野湾市大謝名にある
『大謝名メーヌカー』
大謝名メーヌカー
こちらは、宜野湾市の県道34号線251号線(パイプライン通り)が交わる交差点から、県道251号線浦添市向けに約260mほど進むと、県道沿い右側に入口があり、その奥にあります。
県道251号線沿いにある『大謝名メーヌカー』の入口。
県道から『宜野湾市立 大謝名小学校』の裏門へ続く階段を下りていくと・・・

右側に『大謝名メーヌカー』があり、左側には大謝名区の文化財マップ・大謝名区の屋号図・大謝名メーヌカー淡水紅藻についての説明版があります。
階段から見た『大謝名メーヌカー』
宜野湾市の公式HPの『宜野湾市(古き琉球の文化をたずねて)』のページに掲載されている説明を読んでみると・・・

≪大謝名メーヌカー(市指定史跡)≫
≪大謝名メーヌカーは、市立大謝名小学校の裏門側にあり、地下水が流れ出る洞穴に山羊のあごひげのような“樋”をかけて湧き水を導く形式の湧泉です。

大謝名区では、上水道が完備するごく最近まで、日頃の生活用水はもちろん、新年を迎えるときに身を清める正月の「若水」、子供の出生のときの湯浴みに使う「産水」などは、この湧泉の水を利用していました。

その恩恵にこたえて、区民の方々はいまでも、正月、二月、八月の節々にカーウガミ(泉拝み)を行っています。
ほぼ正面から見た『大謝名メーヌカー』
湧泉の正面は、大きな石柱で区画された三本の樋の架かる水口を残して、洞穴の開口部全体を、布積みの切り石で頑丈にふさいでいます。

樋の下には、市内のほかの湧泉にふつうにみられる貯水槽はなく、階段の敷石になっています。

また、周囲の土留め壁の石垣は大きな石を使用し、一部に切り石がみられますが、そのほとんどは自然石の野づら積みで三段に積まれています。

正面には、みずの香炉を安置した小室があります。

湧泉に降りるカービラ(泉坂)と呼ぶ石畳道は、幅2~225、長さ約24mの25段の石段がつくられ、踏み石もきれいに残っています。≫
・・・とありました。
水が流れ出る三つの開口部の上部にあった香炉
カービラ側から見た『大謝名メーヌカー』
三つの吐水口から勢いよく流れ出る水。
この『大謝名メーヌカー』を回り込むように歩いていくと、清掃中の地元の方に遭遇し、少しばかり、お話を聞かせて頂きました。

お話によると、定期的に草刈りを行っているのだそうです。
『大謝名メーヌカー』から集落へと続く石畳の階段『カービラ』。
また、宜野湾市の説明にも出てきた『カービラ』が、『大謝名メーヌカー』から集落へと延びていたんですが、この『カービラ』は、表の『パイプライン』が、戦後に造られる前からあって、集落の道として使用されていたんだそうです。

『カービラ』を上がっていくと、現在は、すぐに集落にぶつかっちゃうんですが、戦後、『パイプライン』を造る際に、集落の建物を、『カービラ』側に移動したんだとか。
『カービラ』の入口。横に『大謝名メーヌカー』の標柱が立てられていました。
また、『カービラ』を上がり、左へと進むと『土帝君(トゥーティークー)』が祀られた拝所があると教えてもらったので、今度はそちらへ行ってみることにしました。
『土帝君』と『地頭火の神』、そして『謝魂之塔』
『カービラ』を上がり、左へと進むと、すぐに見つけることができました。

まずは、先程の地元の方が教えて下さった『土帝君』から見学することに。
土帝君(トゥーティークー)
『土帝君』とは、中国の土地の守り神で、豊作をもたらす神様として祀られているんだそうです。

こちらの『土帝君』は、かつては港田原(ナトゥラバル)と呼ばれる現在の大謝名団地隣の『南建工業株式会社』付近にあった水田地帯に祀られていたみたいなんですが、戦後、埋立てによって公民館前に移動されたんだそうです。

そして、その後、現在の場所に再移動されたんだそうです。
祠内に祀られた霊石のご神体
この『土帝君』の祠のすぐ隣には、大きくて立派な祠があり、そこには『地頭火之神』が祀られています。
『土帝君』の祠のすぐ隣りにある『地頭火之神』が祀られた大きな祠。
地頭火之神
『地頭火之神』は、三つの霊石が並べられて設置されており、その後方に『地頭火之神』と刻まれた標柱があります。

また、霊石の前には香炉が1基置かれてましたね。

この『地頭火之神』の祠の中には、『上之山の神』も一緒に祀られていました。
上之山の神
そして、『土帝君』と『地頭火之神』の祠の隣には、沖縄戦で亡くなられた大謝名出身200数名を供養するための『謝魂之塔』と刻まれた慰霊塔が建立されています。
謝魂之塔
『謝魂之塔』の手前には、碑文が記された石碑があります。


≪碑 文≫
≪祖国日本国民族の隆昌と安寧を念じ、戦に加わり惜しくも尊い命を散華された大謝名区出身者二百余柱の英魂に対し、区民の感謝と追悼の誠を捧げ此処に謝魂の塔を建立す。

御霊よ 安らかに故郷に眠り給わらんことを 祈ります


昭和四拾参年拾壱月参拾日 大謝名自治会≫

この『謝魂の塔』まで見学した後、一旦、クルマに戻り、お次は、ここから少し離れた場所にある14世紀の琉球王統の1つ『中山王国』の初代・国王『察度』が住んでいたと伝えられるグスク跡へと向かいました。

・・・と、今回は、ここまでにして、この続きは、また別の回にご紹介しましょうね。

それでは、また☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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『大謝名メーヌカー』・『土帝君・地頭火ヌ神・謝魂之塔』


☆場所:〒901-2223
      沖縄県宜野湾市大謝名

☆見 学:無料

☆駐車場:無し(土帝君・地頭火ヌ神の前には、駐車場あり)