1597年に尚寧王の命によって造られた浦添市安波茶にある石造のアーチ橋と石畳道☆|沖縄放浪日記

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2016年9月25日日曜日

1597年に尚寧王の命によって造られた浦添市安波茶にある石造のアーチ橋と石畳道☆

ハイサぁ~イ☆

この前、浦添市沢岻に点在する史跡を見学した後、帰る途中に同市安波茶にある史跡に立ち寄りました。

こちらは、かつては首里城と中頭・国頭方面を結ぶ宿道(幹線道路)として多くの人が往来し、また、国王もこの道を通って現・宜野湾市普天間にある『普天間宮』に参詣したんだとか。。。

沖縄県浦添市安波茶にある
『安波茶橋と石畳道』
かつてこの道は首里城と中頭・国頭方面を結ぶ幹線道路として人々の往来で賑わっていたんだそうです。
こちらは、浦添市安波茶の県道38号線153号線が交わる『安波茶』の交差点から、県道153号線を同市経塚向けに約210mほど進むと、道沿い右側に入口があります。

また、そこからさらに約130mほど進んだところにある右側の脇道へ入っていくと、すぐ右側に『沖縄県立浦添工業高等学校』の門がありますので、そこを右折し、約60mほど進んだところ右側にも入口があります。
※最初に説明した入口付近にはクルマを駐車するスペースが無いので、『浦添工業高校』側の方が駐車するスペースもあり、そちらから入った方が無難だと思います。
『沖縄県立浦添工業高等学校』側の入口。入口には案内板が設置されています。
『浦添工業高校』の門の前の一角に少しばかり駐車させてもらい、いざ『安波茶橋』へと向かいました。

こちらは、『中頭方西海道(なかがみほうせいかいどう)』と呼ばれる首里城と中頭・国頭方面を結ぶ幹線道路の一部でして、以前ご紹介したことがある、同市内にある『当山の石畳道』と、かつては繋がっていたんだそうです。

・・・と、こちらの『安波茶橋と石畳道』入口の道路を挟んだ反対側にも『歴史の道』があり、そこに説明が記された石板が設置されていたので、まずはそちらを読んでみることに。。。
『歴史の道』の傍らに設置されていた説明版
≪今も地中に眠る石畳道≫
≪この場所の地下約1.5mには発掘された石畳道が保存されています。

道は、幅3.1mほどのややきつい坂道で、外側には雨水を逃がす側溝が取り付けられています。

また、道沿いの屋敷からすり付けられた小さな石畳の出入口も見つかっています。≫
・・・とありました。

この下にも石畳道が大切に保存されているんですねぇ・・・
入口から階段を少し下ったところから見た『安謝橋と石畳道』
説明を読んだ後、さっそく『安謝橋と石畳道』を見学しに向かいました。

入口にある案内板に従って階段を下りていくと、目の前に『安謝橋と石畳道』が向かい側の斜面まで続いているのが見えます。

向こう側の斜面の麓付近にも説明版が設置されているのが見えたので、まずはそちらへと向かいした。

その説明版によると・・・
階段の途中から見た二つの『安謝橋』
国指定史跡  中頭方西海道  安謝橋と石畳道≫
≪安波茶橋と石畳道は、一五九七年に尚寧王の命で浦添グスクから首里平良までの道を整備したときに造られたと考えられています。

首里城と中頭・国頭方面を結ぶ宿道(幹線道路)として人々の往来でにぎわい、国王もこの道を通って普天間宮に参詣しました。

橋は石造のアーチ橋で、小湾川に架けられた南橋と、支流のアブチ川に架けられた北橋から成ります。

深い谷の滝壺の側に巨石を積み上げる大変な難工事だったと思われます。

南橋は沖縄戦で破壊され、北橋も崩壊していましたが、平成十年に北橋を修復しました。

橋の下流側には、赤い皿(椀)で水を汲んで国王に差し上げたと伝えられる赤皿ガーがあります。
浦添教育委員会 平成二十四年九月十九日指定≫
・・・とありました。
南橋
南橋
説明を読んだ後でゆっくり見学開始。

私見では、北橋よりも南橋の方が形が綺麗なように思えました。
『小湾川』の上流
南橋から北橋を見たところ。
南橋を見た後、お次は北橋。

支流のアブチ川に架けられたとありましたが、流れる水量はとても少なかったですね。
北橋
この北橋から、先程の説明版を通過して反対側の入口へ行ってみることにしました。
北橋側から見た石畳道
反対側の入口
反対側の入口まで来た後、Uターンして『安波茶橋』へと戻ります。
最初に入ってきた入口と反対側にある斜面から見た『安波茶橋と石畳道』
北橋から見た南橋
北橋から南橋を見ると、水量はまぁまぁありましたね。
北橋の上から見た小湾川下流
んで、先程の説明文にあった『赤皿ガー』ですが、この北橋のすぐ横から小湾川下流向けに少し下ったところにあるみたいなんですが、ワタクシが訪れた現在は立入禁止となっており、見学することができませんでした。
南橋から見た『赤皿ガー』
・・・とここまで見学した後、入口まで戻り、今度は道向かいにある『歴史の道』へ行ってみました。
浦添市経塚側の『歴史の道』入口
こちらの入口には、『中頭方西海道』の説明版が設置されていました。

その説明によると・・・
≪中頭方西海道 ~なかがみほうせいかいどう~
≪琉球王府時代(一四二九~一八七九)、首里王府からの諸令達(しょれいたつ)や貢租(こうそ)のために使われた宿道(しゅくみち)の一つで、「公事道(こうじみち)」とも呼ばれています。

中頭方西海道は、首里城を起点に平良、大名を通り、浦添の沢岻、経塚、安波茶、仲間、牧港を経て読谷に至るルートを指し、北の恩納、国頭方面を繋ぐ主要道路でした。

一五九七年建立の「浦添城の前の碑」には、尚寧王(しょうねいおう)の命により首里平良から浦添城までの道を拡張し、平良橋を木橋から石橋に架け替え、道に石畳道を敷く国家的大土木工事を実施したと記されています。

中頭方西海道は、琉球王国の政治・経済の発展に伴い整備されてきた道であり、琉球の歴史・文化・交通を考える上で重要な文化財です。
浦添教育委員会≫
・・・とありました。

この『中頭方西海道』の説明版が設置されている場所から少し離れた場所には、『経塚の碑』があります。
こちらも以前ご紹介したことがありますね。⇒過去のブログ記事『妖怪を退治するために建てた石碑』
階段途中にあった石畳道。
・・・とここまで見学した後、クルマへと戻り、この場を後にしました。

この前、浦添市沢岻に点在する史跡をご紹介しましたが、この同市安波茶にもいくつかの史跡が点在しているので、今度は、こちらを回ってみたいですね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『安波茶橋と石畳道』☆

☆場所:〒901-2114
      沖縄県浦添市安波茶3丁目

☆見 学:無料

☆駐車場:無し