大城按司によって築かれたと伝えられる南城市大里大城のグスク跡☆|沖縄放浪日記

この記事をシェアする

2017年3月9日木曜日

大城按司によって築かれたと伝えられる南城市大里大城のグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

先月(2月)中旬、南城市方面へ出かけた際、県道86号線のとある交差点で信号待ちをしてると、交差点の角に城跡の案内板を発見したんですよ😲

んで、ちょこっと立ち寄ろうかと思ったんですが、その日は、ちょっと別の目的地へ向かう途中で、あまり時間も無かったんで、翌日、改めてその城跡へ行ってきました💨
※北中城村にも同じ名称のグスク跡があるんですが、今回は南城市大里大城のグスク跡です。

沖縄県南城市大里大城にある

『大城城跡(うふぐすくじょうあと)

大城城跡の写真
屋敷跡を囲うような形で拝所が並んで設置されてました。
こちらはまず、南城市の県道77号線86号線が交差する『仲間』の交差点から、県道86号線を同市大里大城向けに進み、約1.5㎞ほど進んだところにある十字路(角に『ローソン南城大城店』があります)を左折します。
大城城跡の写真
北側から見た『大城城跡』遠景
次に、十字路を左折して、約80mのところ右側にある最初の脇道を右折して、道なりに約570mほど進んでいくと、右にUターンするような脇道がありますので、そちらへと進みます。
大城城跡の写真
表道から入って約570mほどの距離にある『大城城跡』入口
大城城跡の写真
Uターンポイントに案内板が設置されています。
そして、また道なりに進んでいくと、T字路に突き当るのでそこを右折すると、『大城城跡』の入口となります。
※最初に左折した十字路から、案内板が所々に設置されているので、すぐ分かると思います。
大城城跡の写真
上の写真にあるUターンポイントから道なりに上がっていったところの突き当り、右折すると城跡入口です。
大城城跡の写真
T字路を右折してきた突き当り。城跡入口には説明板が2つ設置されています。
城跡の手前に駐車スペースがあったんで、そちらにクルマを停め、さっそく見学開始。

城跡入口には2つの説明板が設置されていたので、まずはそちらを読んでみることに。。。
大城城跡の写真
大城城跡の説明(右)と城跡内の拝所の説明(左)。
≪大城城跡≫
≪大城城跡は、標高約130メートルを最長部とする琉球石灰岩の丘陵上に形成されている。

四方は急峻な崖状になっており自然の地形を巧みに取り込んで作られている別称『ウフグシクグスク』とも呼ばれる古城の一つである。
大城城跡の写真
説明板から城跡内の広場を見たところ。屋敷跡の石と並べられた拝所群が見えます。
築城主とその年代については定かではないが、口碑・伝承の中では14世紀の初め頃に大城按司(朝眞武)によって築かれたと伝えられている。

場内には平らな面が広がり、南側に城門を開き、本丸と二の郭から築かれている。

城壁は崖状に沿って野面の石積みで取り囲んでいる。
大城城跡の写真
広場を囲うようにして遊歩道があり、遊歩道に沿って拝所が並べて配置されています。
1990年に村の分布調査の結果からはグスク土器、中国製の磁器、褐袖陶器、刀子、鉄釘等が出土した。

おおよそ14世紀から16世紀までの資料となっている。
平成4年3月25日 大里村教育委員会≫
・・・とありました。

平成4年は、まだ『南城市』に統合される前なので、『大里村』となっていますね。

また、もう1つの説明板は城跡内の『拝所』の説明なので、後でまたご紹介致します。

説明を読み終えた後で、まずは並べて配置された拝所群と屋敷跡がある広場内を見学。。。

広場を囲うようにして遊歩道があり、そこに拝所が並べて配置されていました。
大城城跡の拝所の写真
城跡入口側の遊歩道から右回りに見ていきました。
大城城跡の拝所の写真
遊歩道中間地点
遊歩道の拝所群は、右回りに『山川門中』⇒『新地門中』⇒『前與儀門中』⇒『上江洲門中』⇒『上江洲門中』⇒『上里門中』⇒『南風門中』⇒『島仲門中』⇒『嶺井門中』⇒『仲村渠門中』⇒『熱田門中』⇒『大城・糸数門中』⇒『島仲門中』⇒『熱田門中』⇒『與座門中』⇒『外間門中』⇒『島仲門中』⇒『名嘉門中』⇒『羽長門中』⇒『城間門門中』⇒『津波古門中』⇒『金城門中』⇒と続き、最後の石碑だけが、文字が劣化によって消えており、全く判読出来ませんでした(泣)
大城城跡の拝所の写真
遊歩道最終地点。一番左橋の石碑だけ文字が消えかかってて判読出来ませんでした。。。
大城城跡の拝所の写真
最後の石碑だけ文字が消えてしまってました。もしかして『西銘』かな・・?
そして、広場中央には屋敷跡の礎石(そせき)が残されています。

ちなみに、この屋敷跡は、正殿跡みたいですよ

ただ、いくつか残っている礎石の中で、中央に位置する場所の礎石だけ、鎖で囲われていましたね。
大城城跡 正殿跡の写真
広場の中央に残された正殿跡
大城城跡 ノロの踏石の写真
この礎石だけが囲われていたんですが、こちらは『ノロの踏石』みたいです。
・・・と、広場を一通り見学した後は、城跡内に点在している拝所を見学しに向かいました。

・・・と、ここで、先程の「もう1つ」の説明板を、実際に見て回った拝所と一緒にご紹介しましょうね。

≪大城城跡内の拝所(上の六ヶ所(ろっかじゅーが))≫
≪大城城跡にある拝所をまとめて、上の(いーぬ)六ヶ所(ろっかじゅーが)と呼んでいます。

①ウフイービ・・・最も重要な御嶽とされ、祈願も最初に行われます。大城按司が家臣を集めて諸々の伝達を行った場所だといわれています。≫
・・・とありました。
大城城跡 ウフイービの写真
ウフイービ
大城城跡 ウフイービの写真
正面に香炉が3基並べて置かれていて、また左の側面にも石積みがあり、そちらも拝所っぽかったですね。
ウフイービ左側面の石積みの写真
『ウフイービ』の左側面にあった石積み。
≪②ミサマ・・・大城集落の始まりの家とされる仲村渠(なかんだかり)家・上江洲(いーじ)家・上里(いーざとぅ)家の香炉が安置されています。≫
・・・とあり、こちらの拝所は、城跡内の東南側の森の中にありました。

説明の通り、『ミサマ』には、3基の香炉が置かれており、この3基とは別に『大城上之主 もと大城』と刻まれた一際大きな香炉も1基置かれてましたね。
大城城跡 ミサマの写真
ミサマ
大城城跡 ミサマの写真
説明にあった『仲村渠家』・『上江洲家』・『上里家』の香炉
大城城跡 ミサマの写真
3基の香炉とは別に『大城上之主 もと大城』と刻まれた香炉も1基置かれてました。
≪③ユノーシ・・・大城按司がこの地を治めるときに、以前から大城にいた人々に「イッターユーヤ、ノーシ」(あなたたちの世は終わったから下がりなさい)と言ったことからこの名が付いたといわれています。≫
・・・とありました。

『ユノーシ』は、『ミサマ』に向かう入口の右隣りに入口があり、そこから斜面を少し下りたところにありました。
大城城跡 ユノーシの写真
ユノーシ
大城城跡 ユノーシの写真
上に大きな自然岩がありました。
大城城跡 ユノーシの写真
『ユノーシ』に向かって左側には枯葉に埋もれた香炉が2基ありました。
≪④ミヒヌカン・・・大城グスクの台所だったといわれる場所で、当時使用したとされるかまどの石が置かれています。≫
・・・とありました。

『ミヒヌカン』は、説明板が設置されている場所の後方の森の中にありました。
大城城跡 ミヒヌカンの写真
ミヒヌカン
大城城跡 ミヒヌカンの写真
『ミヒヌカン』のすぐ前にも石が数個置かれており、線香が置かれてました。
≪⑤シチャヌハラ・・・一説によれば、大城グスクと島添大里グスクの戦いにおいて、大城按司(麻氏 真武)の妻ウナザラが戦に負けたと思い込み、悲嘆にくれ子どもを崖下に落とした一帯とされています。ただし、他説もあり事実は不明です。≫
・・・とありました。

『シチャヌハラ』は、説明板の分布図によると、広場から『ウフイービ』に向かう入口を横切った先になっています。

んで、そこに行ってみると、そこは崖になっていて、木々の合間から眼下に原っぱが見えました。
大城城跡 シチャヌハラの写真
シチャヌハラ
そして最後は、≪⑥アカバンターへの御通し(うとぅーし)・・・アカバンターにはファーフジと呼ばれる墓があり、北中城村熱田から大城に来て大城按司に仕えた熱田門中の始祖や按司の家来らが眠っているという説があります。≫
・・・とあり、配置図が示す場所に向かおうとしたんですが、その場所に通ずるであろう道は草木が生い茂っていて、それ以上先へ進むのは難しかったんで、こちらは断念しました(泣)
大城城跡の写真
『アカバンターへの御通し』へ通ずる道だと思うんですが、草木が生い茂っていたので断念しました(泣)
そして、説明の最後には、≪区の拝みの際には①⇒⑤⇒④⇒⑥⇒②⇒③の順に廻ります。
南城市教育委員会 平成27年3月設置≫・・・とあったので、ワタクシもこの順路で見学致しました。
大城城跡の配置図の写真
『大城城跡』の説明板にあった配置図。
城跡内と点在する拝所を見学した後、クルマへと戻り、次は、『大城城跡』の南側にある『ノロ殿内』を見学しに向かいました。

・・・と、今回も少し長くなってしまったので、この続きは、また別の回にご紹介しますね。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
ブログランキング・にほんブログ村へ    

☆『大城城跡』

☆場所:〒901-1203
      沖縄県南城市大里大城951

☆見 学:無料

☆駐車場:あり

スポンサーリンク