沖縄陸軍病院職員やひめゆり学徒らが避難していた糸満市伊原にある壕☆|沖縄放浪日記

この記事をシェアする

2017年7月1日土曜日

沖縄陸軍病院職員やひめゆり学徒らが避難していた糸満市伊原にある壕☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した糸満市宇江城にある『宇江城グスク』を後にし、次に向かったのは、同市井原の畑の真ん中に位置する自然壕。。。

こちらは、同じ糸満市伊原の国道331号線沿いにある『ひめゆりの塔』が建立されている『第三外科壕』から南西に直線距離約280mほどのところにあり、沖縄戦の最中、『ひめゆり学徒』らが避難してきた壕の1つです。

沖縄県糸満市伊原にある

『伊原第一外科壕(アブチラ壕)

伊原第一外科壕(アブチラ壕)の写真
壕の出入口横にひっそりと佇む『第一外科壕跡』の碑。
こちらはまず、糸満市の国道331号線県道7号線がぶつかる『米須』の交差点から、国道331号線を同市伊原向けに進み、『ひめゆりの塔』の前のバス停(姫百合の塔前)を通過して約270mほど進んだところ左側にある脇道に左折します。
※脇道の入口に『第一外科壕入口』と記された石柱が立てられています。

そして、道なりに約120mほど進んで行くと、道沿い左側にあります。
畑の真ん中にポツンと木々に囲まれた場所があるので、すぐ分かると思います。
伊原第一外科壕(アブチラ壕)の写真
国道331号線沿いに立つ『第一外科壕入口』の石柱。
壕の出入口前に、車1台分ほどの空きスペースがあったので、そちらにクルマを停め、すぐさま見学開始。
伊原第一外科壕(アブチラ壕)の写真
伊原第一外科壕(アブチラ壕)
連日多くの人が訪れる『第三外科壕』がある『ひめゆりの塔』とは対照的に、こちらには人影が全くなく、周囲には草木が生い茂っており、閑散としてましたね。。。

出入口を入ると、すぐ右側には『第一外科壕跡』と刻まれた石碑が建立されています。
伊原第一外科壕(アブチラ壕)の写真
『第一外科壕跡』と記された石碑と、台座部分に設置された碑文。
・・・が、文字がかなり劣化しており、何と書かれているのか判読出来ませんでした。。。
伊原第一外科壕(アブチラ壕)の写真
出入口横に建立されている『第一外科壕跡』の石碑。
伊原第一外科壕(アブチラ壕)の写真
石碑の台座部分に設置されていた碑文。劣化が進んでいて、判読できませんでした。。。
糸満市の公式HP内にある『ひめゆり平和祈念資料館』のページある説明によると・・・
≪伊原第三外科壕とともに、南部撤退後に沖縄陸軍病院職員やひめゆり学徒隊が避難していた壕の一つで、最初糸数分室の勤務者が入っていたが、後から第一外科と津嘉山経理部の勤務者が合流した。6月17日、壕の入り口近くに砲弾が直撃し、学徒や病院関係者が死傷。その翌18日に学徒らに解散命令が出され、19日未明に負傷者9名を残し、壕を脱出した。≫
・・・とありました。

また、以前は出入口前に説明板が設置されていたそうなんですが、その説明板には、『陸軍病院第一外科』及び『糸数分室所属の軍医看護婦』『沖縄市販学校女子部』『沖縄県立第一高等女学校職員生の徒』が、こちらの壕にいたと記されていたようです。
伊原第一外科壕(アブチラ壕)の写真
『第一外科壕跡』の石碑の前からガマを見たところ。
石碑の前から下の方へと続く階段を下りていくと、下の方に横長に口をあけた"壕(ガマ)"が現われます。

しかし、資料によると、壕内部への進入口は左下の小さな洞口のみとなっているようです。

洞口を入ると、壕内は結構広いらしいんですけど、それでも当時は伊原集落をはじめ、多くの人がこちらにも避難していて、かなり狭苦しかったようです。
伊原第一外科壕(アブチラ壕)の写真
階段途中から洞口側を撮影したところ。左上に見える黒い部分が壕の入口となっているようです。
出入口周辺から壕の入口手前の階段までは雑草が生い茂っていたんですけど、壕口手前の少し開けた場所は、落ち葉が積もってはいるものの、あまり雑草が生えておらず、思いのほか見学しやすくなっていました。
伊原第一外科壕(アブチラ壕)の写真
壕口の手前にある開けた場所。雑草があまり生えておらず、比較的見学しやすかったですね。
伊原第一外科壕(アブチラ壕)の写真
石段を下りてきたところの開けた場所から壕口を見たところ。
また、壕口の少し手前にある、こんもりとしたところには、横長の香炉が設置されていました。
伊原第一外科壕(アブチラ壕)の写真
壕口(奥の暗くなった部分)と、その手前に設置された香炉。
『ひめゆり平和祈念資料館』が発行されている『資料館だより』という資料『第57号』によると、1961年(昭和36年)に、琉球政府社会局と那覇日本政府南方連絡事務所による大々的な遺骨収集が行われ、その中でこちらの『伊原第一外科壕』でも遺骨収集が行われたとのことです。

そして、1968年(昭和43年)には、『ひめゆり同窓会』と『ひめゆり遺族会』が折半で『伊原第一外科壕』の土地を購入したんだそうです。
伊原第一外科壕(アブチラ壕)の写真
壕がある窪地は、背の低い石積みで囲われていました。
また、1974年(昭和49年)には、『ひめゆりの塔』の周囲を囲っていた木製の柵が老朽化していたため、コンクリート製の擬木に変えたんだそうです。

その同じ年に、『伊原第一外科壕』の説明碑も設置したんだそうですよ。
伊原第一外科壕(アブチラ壕)の写真
壕口を背に上を見上げたところ。上の方に石積みが見えます。
・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、そのままクルマへと戻り、次の目的地へと向かいました。

こちらは、『伊原第三外科壕』がある『ひめゆりの塔』から、徒歩で約10分ほどの場所にあるので、もし『ひめゆりの塔』を訪れた際には、こちらの『第一外科壕』にも足を運ばれてみてはいかがでしょうか。。。?

それでは、今回はこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
ブログランキング・にほんブログ村へ    

『伊原第一外科壕(アブチラ壕)

☆場所:〒901-0344
      沖縄県糸満市伊原212

☆問い合わせ:098-840-8111(糸満市役所 代表電話)

☆見 学:無料

☆駐車場:なし