南城市玉城の富里集落内に点在する正泉井などの史跡群☆|沖縄放浪日記

この記事をシェアする

2017年9月4日月曜日

南城市玉城の富里集落内に点在する正泉井などの史跡群☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した南城市玉城富里の陸上競技場横にある『百十踏揚の墓』を見学した後、同競技場の南側に位置する富里集落内に点在する史跡を見学しに向かいました。

まず最初に向かったのは、富里公民館横にある史跡で、こちらには井戸跡と丘の上に拝所があります。

沖縄県南城市玉城富里にある

『富里集落内の拝所群』

富里集落内の拝所群の写真
『富里公民館』近くにある『正泉井』と『宇堂志御願』
競技場南側から集落へと抜ける道路は通行止めになっていたので、競技場に入ってきた道路を戻って県道48号線に一旦出て、県道から集落内へ入りました。

富里公民館前に到着し、すぐさま見学開始、まずは公民館横の小高い丘の麓に位置する『正泉井(せいせんがー)』と呼ばれる井戸跡です。
正泉井の写真
正泉井(せいせんがー)
南城市の観光ポータルサイト『らしいね💗南城市』によると、『正泉井』の石積みは対象末期に造られたといわれているらしく、集落の後方にある源泉から水を引いているんだそうですよ。

サイトの紹介ページには、「枯れることのない」とありましたが、ワタクシが訪れた際は、水が出ていませんでしたね。。。
正泉井の写真
反対側から見た『正泉井』
井泉上部に長方形の4つの穴が設けられていたので、たぶん内部は貯水槽になっていて、ちょうど中間部にある2つの穴から手前の水溜めに水を注ぐ仕組みになっているんでしょうね。
『正泉井』の後方に立てられていた『水道工事竣工記念碑』
また、『正泉井』のすぐ後ろには、先の尖った『水道工事竣工記念碑』が建立されていました。

『正泉井』を見学した後、その後方の小高い丘の上へと向かいました。
宇堂志御願の写真
公民館に隣接する小高い丘の頂上付近にある『宇堂志御願』
丘の頂上付近には木々が立っており、その手前に『宇堂志御願(うどうしうがん)』と称される拝所と、その説明が記された案内板がありました。
宇堂志御願の写真
宇堂志御願
その案内板の説明を読んでみると・・・

≪宇堂志御願≫
≪宇堂志家とは摩文仁間切の小渡・米須から移住してきて富里の各拝所の管理を任されたと伝わっている旧家です。

宇堂志御願の約七百坪もの森はすべてが聖域とされ、葬列がこの前を通ることは禁じられているほどです。

高台であることから、大正期に加留井(かるがー)より水をひいて、ここに貯水タンクを設置し、各所へ配水しました。
南城市教育委員会 平成29年1月設置≫
・・・とありました。
宇堂志御願の写真
宇堂志御願
拝所の祠は、ごく最近造り替えられたのか、結構真新しい感じだったんですが、内部に納められている3基の香炉はかなり古い感じでしたね。

この『宇堂志御願』を見学した後、次に向かったのは、集落の南側に位置する『高庭殿』と称される史跡です。

その史跡へ向かう途中の小道沿いにも拝所を偶然発見しちゃいました。
武堂志拝所の写真
武堂志拝所(奥武大城門中)
内部には、数基の香炉が納められており、道路側の壁には『武堂志拝所(奥武大城門中)』と記されていました。

また、この拝所は『昭和五七年六月』に竣工されたようです。

こちらの拝所を後にし、さらに集落南側へ移動します。
高庭殿の写真
高庭殿(たかまーぬとぅん)
集落南側の小高い場所に広場らしき場所があるんですが、こちらは『高庭殿(たかまーぬとぅん)』と呼ばれるところなんだそうです。

標柱の立つ場所から奥の方へ簡易的なコンクリートブロックの階段があり、そちらへ少し入ってみると、右側に小屋が2棟並んで建てられていました。
高庭殿の写真
『高庭殿』に建てられていた2棟の小屋。
また、小屋を通過すると、芝生が生える広場に出ます。
高庭殿の写真
『高庭殿』の広場。
どうやらこちらの広場は、普段は集落の方の憩いの場として利用されているみたいですね。

"殿(とぅん)"とは、ムラの年中行事"ウマチー"などで拝みを行う場所のことで、こちらは「高い場所に位置する庭の拝所」ということから、『高庭殿』と呼ばれるようになったみたいですね。

『高庭殿』を後にし、今度は北西側へ移動します。

すると、小道沿いに"井戸跡"がありました。
平泉井の写真
平泉井(へいせんがー)
隣に立てられている標柱を見てみると、『平泉井(へいせんがー)』と記されていました。

こちらは、コンクリートブロックで囲われており、内部の様子は全く見えません。
平泉井の写真
反対側から見た『平泉井』
冒頭でご紹介した『正泉井』のように正面に樋口らしき穴が全く無いので、もしかすると、四角くコンクリートブロックで囲って貯水し、上部から水を汲んで利用していたのかもしれませんね。
※あくまでワタクシ個人の憶測ですので、定かではありません。

また、この『平泉井』の正面に伸びる小道があるんですが、こちらは『富里の石畳道』と称されているようです。
富里石畳道の写真
富里の石畳道
かつての集落内の道がそのまま残されていると思われますが、道沿いにある民家の石塀も、その当時のままのものと思われます。

敷地出入口には綺麗なアーチ門が造られています。
富里の石畳道の写真
富里の石畳道
石畳道を進むと、二手に分かれた分岐点に差し掛かるんですが、そちらを右折し『富里公民館』前の道路に向かいます。
富里の石畳道の写真
富里の石畳道
石畳道を抜け、公民館前の道に出て左折し、西向けに約20mほど進んでいくと、右側の道路沿い下に『屋武多井(やんだがー)』と呼ばれる大きめの井泉があります。
屋武多井の写真
屋武多井(やんだがー)
屋武多井の写真
入口から見た『屋武多井』
こちらは、貯水槽上部に屋根が設けられており、今でも豊な水を湛えていましたね。
屋武多井の写真
奥から見た『屋武多井』の貯水槽。
また、『屋武多井』の奥には改修碑が建立されていました。
屋武多井の写真
『屋武多井』改修碑
改修碑には『一九五七年旧十二月改修ヲナス』と記されていましたね。

・・・と、ここまで見学した後は、そのままクルマへと戻り、この日はこのまま帰宅の途に就きました。

今回は、富里集落内に点在する7ヵ所の史跡を回りましたが、この他にもまだいくつかの史跡が点在しているようなので、またいつか機会を設けてそちらの方も回ってみたいと思います。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
ブログランキング・にほんブログ村へ  

『富里集落内に点在する史跡

☆場所:〒901-1400
      沖縄県南城市玉城富里

☆見 学:無料

☆駐車場:無し