ハイサぁ~イ⭐
今回は、以前ご紹介した『稲福遺跡群』の残りの史跡をご紹介したいと思います。
稲福集落の北側の一番高い場所に位置する『上御願』まで見学した後、来た道を戻って、今度は東側と南東側に点在する史跡を見学しに向かいました。
南城市大里大城の稲福遺跡群を形成する
『仲村御嶽・中森御嶽とその他の史跡』☆
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遺跡群の南東に位置する『稲福寺』。畑の奥にひっそりと佇んでいました。 |
以前ご紹介した
『稲福殿』の横を通過して
『イリ』の案内板がある小さな十字路を左折し、約30mほど進んだところ左側の奥に井戸跡らしき石垣を発見しました。
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『ウチバルガー』 |
『稲福殿』の前にあった説明板の分布図によると、こちらは『ウチバルガー』と呼ばれる井泉なんだそうです。
ご覧の通り、現在は水が枯れているようでした。
また、分布図では、ここから少し東側へ進んだところ左側に伸びる小道の先にあると示していましたが、そちらは私有地となっているらしく閉じられた門しかありませんでした。
この『ウチバルガー』を後にし、次に向かったのは、集落の南側に位置する『稲福寺跡』と呼ばれる史跡です。
『稲福寺跡』は、以前ご紹介した
『慰霊之塔』・『テラグヮ』・『ミーガー』の近くにあります。
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以前ご紹介した『慰霊之塔』と『テラグヮ』・『ミーガー』の入口。
『テラグヮ』に向かうようにして小道に入り、そのまま奥まで進みます。 |
『テラグヮ』に続く小道の入口を通過し、奥へと進んでいき、突き当りのビニールハウス
の前を左折すると、その奥に『稲福寺跡』があります。
なんでも、この『稲福寺』は別称『熱田寺』とも呼ばれているんだとか。。。
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ビニールハウスの奥にある『稲福寺跡』 |
『稲福寺』の横には、その由来が記された石板が設置されていたんですが、劣化が激しく判読することができませんでした。。。
んで、ネットでいろいろ調べてみると、HN『クオックス』さんが手掛ける『沖縄の裏探検』というブログのページ
『稲福(いなふく)寺跡』に、その由来のことが記載されていました。
記事によると、昔、村を治めていた熱田門中の初代にあたる人物が、仕事に向かう際、同じ所にある石で毎回躓いていたとのこと。
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『稲福寺(熱田寺)』の横に設置されていた説明板。劣化が激しく文字が消えかかっていました。 |
不可思議に思い、ある日、その石を掘り起こしたところ、石の下から石像が出てきたんだそうで、その石像を現在の『稲福寺』のある場所に祀ったのが始まりとされているとのことです。
そして今日に至るまで、上稲福集落の人々の拝所となっているんだそうですよ。
※『沖縄の裏探検』:『稲福(いなふく)寺跡』の記事より一部引用
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稲福寺(熱田寺)跡 |
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内部にはたくさんの霊石が祀られていました。 |
この『稲福寺(熱田寺)跡』を見学した後、『慰霊之塔』の入口がある小道へと戻り、小道をさらに東側へと向かいます。
『慰霊之塔』と『テラグヮ』・『稲福寺』の入口から、東向けに約150mほど進んだところ左側の森の中に『アガリヌヒージャーガー』と呼ばれる井泉があります。
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写真のほぼ中央付近に見える木と草の間が『アガリヌヒージャーガー』の入口です。 |
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アガリヌヒージャーガー |
こちらの『アガリヌヒージャーガー』も、まだ水を湛えているみたいで、コンクリートブロックで囲い、その横から水道管らしきホースが伸びていました。
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ガー(井泉)の手前には香炉の代わりとなるブロックが置かれていました。 |
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ガーの後方。草木が繁茂しており、深い森となっていました。 |
『アガリヌヒージャーガー』を見学した後は、一度集落の表の道まで戻り、集落の東側に位置する小高い丘へと向かいました。
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表の道から見た『中森御嶽』。 |
以前ご紹介した
『稲福ガイドマップ』の分布図によると、上の写真にある丘に『中森御嶽』があるとなっていたんですが、そこに向かう入口がなかなか見つかりませんでしたねぇ。。。(泣)
んで、上の写真に写っている道をゆっくり走らせていると、コンクリートで覆われた斜面に向かって右側から少し上がったところに、一ヵ所だけ小さな空間があるのを発見したんですよ‼
すぐさま、通行の邪魔とならないスペースにクルマを停め、その場所へ行ってみると・・・ありました‼『中森御嶽』‼(笑)
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『中森御嶽』。写真中央から少し下側に小さな香炉があるのが見えますでしょうか? |
ただ、こちらも長い間、人の手が入ってないようで、雑草が生い茂っていたため、それらをかき分けながら奥へ進んで行くと、雑草に埋もれた香炉を発見致しました!
『稲福ガイドマップ』によると⑧『中森の御嶽
(なかむい ぬ うたき)』は、
≪現在は各門中が遥拝所として利用している。≫とのことです。
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『中森御嶽』の香炉。 |
いそいそと写真を撮り終え、すぐさま撤収(笑)
雑草がかなり繁茂していたため、ゆっくり見学することができませんでした(泣)
んで、『中森御嶽』を出た後、その道を挟んで斜め向かい側にある脇道へと進み、『仲村御嶽』に向かいました。
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仲村御嶽 |
こちらを訪れたことのある方たちのブログに掲載されている画像を見てみると、以前は、もっと小さな祠だったみたいで、しかも『仲村御嶽』に続く小道や祠周辺は草木の覆われていたみたいですね。
現在は、ご覧の通り、コンクリートブロックで大きく造り替えられてました。
・・・と、ここまで見学した後は、表の道を北西向けにクルマを走らせました。
『稲福ガイドマップ』によると、上稲福集落の北北西側に『カタカシラー』と呼ばれる拝所、西側に『イリの墓』があるとのことでしたので、帰りがけに立ち寄ることにしました。
まずは『イリの墓』。
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『イリの墓』の入口がある小道。 |
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『イリの墓』の入口。。。 |
ガイドマップで示している場所を見ると、表の道沿いにあるのかと思いきや、本線から逸れた小道に入り、案内板がある場所の向かい側の森の中に入って約30mほどの距離にありました(泣)
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入口を入ってきて真正面にあった『イリの墓』。 |
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もう1基の『イリの墓』はこの先にあります。 |
恐る恐る森の中の獣道を上がっていくと、岩壁を利用した古墓が2基あり、奥の古墓の前に『イリの墓』の標柱が立てられていました。
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もう1基の『イリの墓』 |
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奥の『イリの墓』から最初の『イリの墓』を見たところ。標柱が反対向きに立てられていました。 |
こちらも、いそいそと写真を撮り終え、すぐさま撤収。。。(笑)
いつ何時、藪から何が飛び出して来るか分かんないので、長居は無用です。
『イリの墓』を出た後、最後に『カタカシラー』を見学しに行きました。
『カタカシラー』も、表の道から少し入った場所にあったんですが、『イリの墓』よりは比較的楽に見学できました(笑)。
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『カタカシラー』の入口。 |
草の間から中へ入って行くと大きな岩壁があり、その中腹から根元までコンクリートブロックが積まれており、その手前に香炉が置かれていました。
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『カタカシラー』 |
『稲福ガイドマップ』によると、⑩『カタカシラー』は
≪唐船が目印にした岩といわれ、古墓としても知られている。 語源は形が士族の髷(カタカシラ)に似ていたことによる。≫とありました。
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向かって右側の岩壁の根元にあった拝所。 |
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向かって左側にあった古墓。 |
『カタカシラー』を見学した後は、ガイドマップの分布図に『イリヌヒージャーガー』も示されていたので、そちらも見学しようといろいろ探し回ったんですが、残念ながらこちらは発見することが出来ませんでした(泣)
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表の道から下へ降りる階段。この先に『イリヌヒージャーガー』があると思うのですが。。。 |
表の道から下に続く階段を見つけはしたのですが、階段の先が雑草に埋もれてしまっていて、その先へ進むことが出来ませんでしたね。。。
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『イリの墓』の入口から見た本島南部の景色。 |
あと、この上稲福集落の西側は絶景ポイントになっており、いい天気だと、八重瀬町・糸満市方面が一望でき、その先に東シナ海と慶良間諸島を臨むことが出来るんですよ。
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『イリの墓』入口近くに設置されていた『稲福を詠んだおもろ』。 |
んで、先程ご紹介した『イリの墓』の入口近くに『稲福を詠んだおもろ』の説明と『おもろさうし』の紹介が記された説明板が設置されていましたよん。
・・・と、ここまで見学した後は、そのまま帰宅の途に就きました。
今回、『稲福遺跡群』を3回に分けてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?
『稲福遺跡群』は、今回で終わりですが、以前ご紹介した『上稲福集落』近くにある
『大城按司の墓』の道向かいにある『ウナザラのお墓』と『ウツーヌアジ墓群』、そして
『大城城跡』の南側に『ぬる殿内』があるので、今度はそちらを順次ご紹介していきたいと思います。
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『稲福遺跡群』☆
☆場所:〒901-1400
沖縄県南城市大里大城(上稲福集落)
☆見 学:無料
☆駐車場:無し