沖縄放浪日記: 史跡・遺跡・文化財

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2017年5月26日金曜日

うるま市宇堅に点在する『クバウ御嶽』をはじめとする史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

以前、うるま市天願にある『天願グスク』・『天願貝塚』をご紹介しましたが、『天願グスク』・『天願貝塚』、そして『祝女殿内』を見学した後、今度は同市宇堅に点在する史跡を見学しに向かいました。

まず最初に向かったのは、うるま市宇堅の県道224号線沿いに建立されている御嶽。

県道側に面して立派な鳥居があり、その奥にはこれまた立派な社殿が建立されていました。

うるま市字宇堅にある

『クバウ御嶽と点在する史跡』

宇堅村クバウ嶽之殿の写真
県道224号線沿いに建立された『宇堅村クバウ嶽之殿』
こちらは、以前ご紹介したうるま市天願の『天願グスク』・『天願貝塚』の前から、県道224号線を同市赤野向けに約1.4㎞ほど進んでいくと、県道沿い左側にあります。
宇堅村クバウ嶽之殿の写真
県道上から見た『宇堅村クバウ嶽之殿』
県道側には『クバウ御嶽』と表記された案内板が立てられていたんですが、『コバウノ嶽』や『クバウ嶽ノ殿』と称されているようです。
宇堅村クバウ嶽之殿の写真
鳥居の横に設置されていた霊石(?)
立派な鳥居をくぐると、すぐに大きな社殿があり、その拝殿へ向かう階段横には、『宇堅村クバウ嶽之殿』と刻まれた石碑が立てられていました。
宇堅村クバウ嶽之殿の写真
『宇堅村クバウ嶽之殿』の社殿と石碑
宇堅村クバウ嶽之殿の写真
拝殿の前に立てられていた石碑。
鳥居や祠などの建造物は、比較的新しい感じがしたので、もしかすると、ここ数年の間に建て替えられたのかもしれませんね。
宇堅村クバウ嶽之殿の写真
敷地の奥側にあった拝所。水瓶らしき器と霊石が置かれていました。
また、社殿の前までいくと、その横にも拝所が設けられており、水瓶らしき器と小さな霊石が祀られていました。
宇堅村クバウ嶽之殿の写真
敷地の奥側から見た『宇堅村クバウ嶽之殿』
こんなに立派な御嶽なのに、ネットには資料などの詳細がUPされておらず、詳しいことはほとんど分かりませんでしたね。。。

唯一得られた情報では、こちらを管轄されているのは、『田場巫』という田場村を管轄するノロ(祝女)なんだそうですよ。

出来れば、御嶽に関する資料などを市の公式HPにUPしてほしいですね。。。

この『宇堅村クバウ嶽之殿』を見学した後、次に向かったのは、御嶽の前の県道をうるま市赤野向けに約50mほど進んだところ左側の角にあった史跡。。。

こちらは、うるま市の遺跡分布図にも表記されておらず、『新宇堅橋』の手前に立てられていた標柱を偶然発見したんです。
アシビナーの写真
アシビナー
『アシビナー』とは、村の祭りやウシデーク(豊年予祝などの祭祀舞踊)などの祭祀を行う場所のことです。
アシビナーの写真
新宇堅橋の上から見た宇堅村の『アシビナー』
恐らく現在は、区の公民館や広場などで祭事を行っていると思うんですが、かつてはこちらが祭祀を行う場だったのでしょうね。

この『アシビナー』のある場所から県道を渡り、西向けに伸びる脇道へと進みます。

脇道に入って約90mほど進んでいくと、道沿いに案内板が設置されているのが見えてきます。

その案内板には『ウキンガー』と表記されていました。
ウキンガー(ウケンガー)の写真
天願川と小道に挟まれた場所にある『ウキンガー』
うるま市の資料『5章.地域別みどりの配置方針』にある『みどりの現況特製図(具志川地域)』には、『ウケンガー』と記載されていたんですが、現地に設置されている案内板には『ウキンガー』と表記されていましたね。

この『ウキンガー』の手前にある場所の角っこに、かなり劣化した古い小さな石柱が置かれていたので、ガーを見に行く前に、その石柱を見てみると・・・
橋梁架設記念碑の写真
橋梁架設記念碑
『橋梁架設記念碑』と記されていました。

記念碑に向かって左側は壊れてしまっていたんですが、右側の側面には橋梁架設に関わった村長をはじめとする方々の氏名が刻まれており、裏面には日付が記されていました。

日付は、文字が少し劣化していて判読しづらかったんですが、『昭和五年十月吉日』となっていました。

『橋梁架設記念碑』を見学した後、『ウキンガー』のある場所へと降りていきました。
ウキンガー(ウケンガー)の写真
ウキンガー(ウケンガー)
『ウケンガー』は窪地に2ヵ所設けられており、双方の貯水槽の後方に香炉が1基ずつ設けられていました。

手前側は、貯水槽にも雑草が生い茂っていて、水の有無を確認することが出来ませんでしたが、奥側の『ウキンガー』は、雑草があまり生えておらず、比較的綺麗な状態で水が溜まっているのが確認出来ました。
ウキンガー(ウケンガー)の写真
手前側の『ウキンガー』
奥側の『ウキンガー』
ウキンガー(ウケンガー)の写真
奥側の『ウキンガー』。雑草が生えているものの、水が溜まっているのが確認できました。
この『ウキンガー』を見学させて頂いた後、一旦県道まで戻り、うるま市天願向けに進みました。

先程の『宇堅村クバウ嶽之殿』の前を通過して、約100mほど進んだところ左側に小さな脇道があるんですが、その脇道の入口には『シリガー』と表記されている案内板が立てられています。
シリガーの写真
県道から見た『シリガー』の入口
その脇道に入り、約30mほど進んでいくと、左側に『シリガー』がありました。
シリガーの写真
シリガー
ご覧の通り、こちらは貯水槽に鉄格子が設置されており、その後方に香炉が1基置かれていました。
シリガーの写真
『シリガー』内部。下の方に水が溜まっているのが確認できました。
こちらも、現在も豊富な水を湛えているようで、水管のようなホースが設置されていましたね。

『シリガー』の向かい側には、畑があり、どうやらこちらから水を得ているようでした。
シリガーの写真
『シリガー』の向かい側にある畑
この『シリガー』まで見学させて頂いた後、最後に宇堅区の南東側に位置する『野鳥の森自然公園』の近くにあるガー(井泉)へと向かいました。

こちらは、『野鳥の森自然公園』の南側にある駐車場の前から、『沖縄電力具志川火力発電所』向けに進み、約400mほど進んだところ左側にある2つめの脇道に入ります。

そして、そこから約170mほど進み、2つめの脇道を左折し、前方に見えてくる鉄塔の手前右側にある脇道へ右折すると、すぐ左側にあります。
イジュクガーの写真
イジュクガー
こちらは、集落からだいぶ離れた場所にあるためか、長い間草刈りなどが行われていないようで雑草が繁茂してましたね。

また、『ガー』は、柵で囲われており、貯水槽に誤って落ちないようになっていました。
イジュクガーの写真
水量は豊富なようでした。
柵の上から写真を撮り、貯水槽の中を確認すると、こちらもまだ水を湛えているようでしたね。

『イジュクガー』を囲う柵の左側から、後ろの方に小さな獣道があったんで、そちらへちょこっと行ってみると、南東の方角に向く拝所のような場所がありました。
イジュクガーの写真
『イジュクガー』の後方。ブロックと木が設けられて拝所っぽい感じでしたね。
・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、宇堅区を後にし、次の史跡へと向かいました。

今回はこの辺にして、この続きはまた別の回にご紹介しますね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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『クバウ御嶽』・『シリガー』・『アシビナー』
・『イジュクガー』・『ウキンガー』☆

☆場所:〒904-2211
      沖縄県うるま市字宇堅

☆見 学:無料

☆駐車場:なし

2017年5月21日日曜日

うるま市天願の標高約35mの琉球石灰岩上に位置するグスク☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、うるま市天願の天願川に架けられた『旧天願橋(ターチー橋)』を見学した後、同市天願にあるグスク跡へと向かいました。

しかし、こちらは現在米軍基地内にあるため、グスク内に入ることは出来ないので、フェンスの外から見学させて頂きました。。。(泣)

沖縄県うるま市天願にある

『天願グスク【別称:土城(ツチグスク)

天願グスク・天願貝塚の写真
フェンスの向こう側に見える森が『天願グスク』『天願貝塚』

2017年5月16日火曜日

村の守護神が祀られている糸満市の真栄平集落の北側に位置する御嶽☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、糸満市真壁にある『真壁グスク』『萬華之塔』を見学した翌日、再び糸満市方面へ出かけました(笑)

二日目は、同市真栄平にあるグスク跡で、こちらは真栄平集落の守護神が祀られている御嶽となっているんだとか。。。

沖縄県糸満市真栄平にある

『真栄平グスク』

真栄平グスク(めへだいらむら御嶽)の写真
鬱蒼とした森に包まれ、霊験あらたかな空気が漂っていました。

2017年5月11日木曜日

南山城の出城として築かれたとされる糸満市真壁にあるグスク☆

ハイサぁ~イ⭐

昨日(10日)は、午後2時を少し過ぎたくらいから時間が空いたんで、久々に糸満市まで出かけてきました。

んで、糸満市内にある食堂で遅めの昼食をとった後、同市真壁にあるグスク跡へ向かいました。

こちらは、14~16世紀に栄えたグスクであったとされており、糸満市大里にある『南山グスク』の出城として築かれたといわれているんだとか。。。

沖縄県糸満市真壁にある

『真壁グスク』

真壁グスク(真壁公園)の写真
南側から見た『真壁グスク』遠景

2017年5月8日月曜日

ずぶ濡れの犬が現われた事からその名が付いた泉と旧村落であったとされる御嶽☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、前々回にご紹介した『伊計グスク』を見学した後、この日最後に向かったのは伊計島の北西の海岸沿いの崖下にあるカー(井泉)です。

こちらは、うるま市の文化財に指定されているんだそうで、かつては島の住民の生活用水として使用されていたそうなんですが、現在も豊富な水を湛えており、今では島の農業用水として活用されているんだそうですよ。

沖縄県うるま市与那城伊計の伊計島にある

『犬名河(インナガー)

犬名河(インナガー)の写真
伊計島北西の海岸沿いの崖下にある『犬名河(インナガー)』

2017年5月4日木曜日

勝連半島の北東約10㎞にある島の最高所となる台地に立地するグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

先月(4月)の最終金曜日は、午後からうるま市方面まで出かけてきたんですが、前々回の記事でご紹介した、うるま市字宇堅にある『古(クー)グスク』を見学した後、沖縄本島中部の太平洋に突き出た『勝連半島(若しくは与勝半島)』の北東約10㎞に位置する『伊計島』へ向かいました。

その『伊計島』にも、以前から足を運んでみたかったグスク跡があるんですが、そのグスクは干潮時にしか入ることが出来ないとのこと。。。

んで、『古(クー)グスク』を後にした時間帯は、ちょうど干潮時刻と重なっていたため、間に合うかどうか微妙ではあったんですが、とりあえず行ってみることにしたとゆーわけなんですよ。

沖縄県うるま市与那城の伊計島の南西端にある

『伊計グスク』

伊計グスクの写真
新しく作り直された主郭にあるイベ

2017年5月2日火曜日

具志川火力発電所東側の海岸にかつて存在していたグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

先週末、凄く天気が良かったんで、午後からちょこっとうるま市方面へ再び出かけてきましました。

まず最初に向かったのは、うるま市字宇堅にある『具志川発電所』の東側にある砂浜です。

その砂浜の南側にある丘は、かつてのグスク跡だったそうなんですが、残念ながら石積みなどの遺構は残っておらず、また、グスクがあったとされている場所の大部分は発電所の敷地内になっているんですよ。。。

・・・なので、正直、見どころはほとんどありませんが、いちおー『グスク跡』とされているので、今回、足を運んでみることにしたってわけなんです。

うるま市字宇堅にある

『古(クー)グスク』

クー(古)グスクの写真
砂浜の南側にある丘の上にあったようですが、現在は大部分が発電所の敷地内になっています。

2017年4月28日金曜日

読谷村伊良皆にあるサシチムイと呼ばれる森に点在する拝所☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回、読谷村伊良皆の『サシチムイ』と称される森の奥にある『尚巴志王之墓』を見学した後、国道から入ってきた農道沿いに点在していたカー跡(井戸跡)や拝所を見学しに向かいました。

沖縄県中頭郡読谷村伊良皆の

『サシチムイ(佐敷森)に点在する拝所』

サシチムイの拝所の写真
広範囲にカー跡(井戸跡)と拝所が点在していましたね。。。

2017年4月26日水曜日

読谷村伊良皆のサシチムイにある第一尚氏王統・第二代目中山王の墓☆

ハイサぁ~イ☆

この前の日曜日は、読谷村伊良皆にあるサシチムイ(佐敷森)と呼ばれる森へ行ってきました。

こちらの森の中には、琉球王国第一尚氏王統・第二代目中山王が葬られている墓があるんだそうで、以前から一度訪れてみたかった場所の1つなんですよ。

沖縄県中頭郡読谷村伊良皆にある

『尚巴志王の墓』

尚巴志王之墓の写真
小道入口に建立されている『尚巴志王之墓』と刻まれた石碑。

2017年4月18日火曜日

うるま市具志川の沖縄貝塚時代後期からグスク時代にかけての遺跡☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、うるま市方面まで出かけた際、以前から行ってみたかったグスク跡にも立ち寄ってきました。

こちらは、うるま市具志川の金武湾に面した海岸線沿いにある丘の上にあり、沖縄貝塚時代後期からグスク時代にかけての遺跡なんだそうです。

沖縄県うるま市具志川にある

『具志川グスク』

具志川グスクの写真
定期的に草刈り清掃が行われているためか、思いのほか見学しやすかったですね。

2017年4月16日日曜日

現在も旧暦正月にカー拝みが行われるうるま市田場の井泉と歌碑☆

ハイサぁ~イ⭐

先月中旬ごろ、天気の良い日が数日続いてたんで、久しぶりにうるま市方面にある史跡を見学しに行ってきました。

まず最初に訪れたのは、うるま市の田場という地域。

以前、この近くに魚釣りで訪れた際に、たまたま史跡の案内板を見つけてて、いつか見学に訪れたいと思ってたんですよ(笑)

うるま市田場にある
『田場ガー』
田場ガーの写真
現在も旧暦の正月にカー拝みが行われているんだそうですよ。。。

2017年4月11日火曜日

三人の賢人が琉球の国のことを語り合った場所とされる那覇市辻の公園☆

ハイサぁ~イ⭐

先週火曜日(4日)の午後、少し時間が空いたんで、以前から気になっていた那覇市辻にある公園へちょこっと行ってきました。

こちらは、かつて三人の賢人が、琉球の国について語り合った場所だという言い伝えが残されているんだとか。。。

沖縄県那覇市辻にある
『三文珠(サンモウジ)
三文珠の写真
『三文珠公園』の中央にある丘の中腹にあった『坊主神』の拝所。

2017年4月7日金曜日

南風原集落北側の小高い丘の上にある御嶽とその他の史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回、南城市大里字大里の南風原集落に点在する『石彫魔除獅子』をはじめとする史跡をご紹介したんですが、今回はその続きです。

集落の東側にある『上ヌ井』を見学した後、集落北側の小高い丘へと向かいました。

南城市大里字大里の南風原集落にある

『松尾御嶽とその他の史跡』

松尾御嶽の写真
南風原集落の北側に位置する『松尾御嶽』

2017年4月4日火曜日

南城市大里の南風原集落内に点在する石獅子などの史跡群☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、南城市大里字大里の南風原集落最高の聖地とされる『食栄森御嶽(イイムイウタキ)を見学した後、同集落内に点在している拝所やカー(井泉)、御嶽などを見学しに向かいました。

こちらの南風原集落内に点在する史跡も結構多いので、2回に分けてご紹介していきたいと思います。

沖縄県南城市大里字大里の南風原集落内にある

『石彫魔除獅子とその他の史跡』

石彫魔除獅子の写真
現在も、魔除けとしてムラを守り続ける南風原集落の『石彫魔除獅子』

2017年3月31日金曜日

南城市大里地区南風原の集落内にある舜天王の墓と言われる御嶽☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、南城市大里大城にある『ウナザラのお墓』・『ウツーヌアジ墓群』を見学した後、その帰る途中に、同市大里字大里の南風原集落に立ち寄りました。

こちらも、以前から一度散策に訪れてみたかった集落の一つです。

んで、今回はその南風原集落の最高聖地とされる御嶽をご紹介しますね。

南城市大里字大里の南風原区にある

『食栄森御嶽(イイムイウタキ)

食栄森御嶽の写真
南城市大里字大里の南風原集落最高の聖地『食栄森御嶽』

2017年3月28日火曜日

南城市大里大城の大城グスクの南側にある大城ノロの屋敷跡☆

ハイサぁ~イ⭐

少し話しが前後するんですが、以前ご紹介した南城市大里大城にある『大城城跡』や城跡北側に位置する『上稲福遺跡群』を見学した日、帰りがけに『大城城跡』の南側に位置する史跡に立ち寄りました。

こちらは、かつて『大城ノロ』が住んでいたとされる屋敷跡なんだとか。。。

沖縄県南城市大里大城にある

『のろ殿内(ヌルドゥンチ)

のろ殿内(大城神社)の写真
終戦後に『大城神社』と呼ばれた『大城ノロ』の屋敷跡

2017年3月24日金曜日

南城市大里大城にある大城按司の妻のお墓と按司・ヌルのお墓☆

ハイサぁ~イ⭐

以前、南城市大里大城にある稲福遺跡群を見学しに行った際、旧稲福集落の東側に位置する崖の中腹にある大城按司の妻が葬られているとされるお墓と、その近くにある按司とヌルのお墓も見学してきました。

沖縄県南城市大里大城にある

『ウナザラのお墓』『ウツーヌアジ墓群』

ウナザラのお墓の写真
鬱蒼と生い茂った森の中にあった『ウナザラのお墓』

2017年3月20日月曜日

稲福遺跡群を形成する2つの御嶽と拝所や寺跡などの史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、以前ご紹介した『稲福遺跡群』の残りの史跡をご紹介したいと思います。

稲福集落の北側の一番高い場所に位置する『上御願』まで見学した後、来た道を戻って、今度は東側と南東側に点在する史跡を見学しに向かいました。

南城市大里大城の稲福遺跡群を形成する

『仲村御嶽・中森御嶽とその他の史跡』

稲福寺(熱田寺)の写真
遺跡群の南東に位置する『稲福寺』。畑の奥にひっそりと佇んでいました。
以前ご紹介した『稲福殿』の横を通過して『イリ』の案内板がある小さな十字路を左折し、約30mほど進んだところ左側の奥に井戸跡らしき石垣を発見しました。
ウチバルガーの写真
『ウチバルガー』
『稲福殿』の前にあった説明板の分布図によると、こちらは『ウチバルガー』と呼ばれる井泉なんだそうです。

ご覧の通り、現在は水が枯れているようでした。

また、分布図では、ここから少し東側へ進んだところ左側に伸びる小道の先にあると示していましたが、そちらは私有地となっているらしく閉じられた門しかありませんでした。

この『ウチバルガー』を後にし、次に向かったのは、集落の南側に位置する『稲福寺跡』と呼ばれる史跡です。

『稲福寺跡』は、以前ご紹介した『慰霊之塔』・『テラグヮ』・『ミーガー』の近くにあります。
稲福寺跡の入口の写真
以前ご紹介した『慰霊之塔』と『テラグヮ』・『ミーガー』の入口。
『テラグヮ』に向かうようにして小道に入り、そのまま奥まで進みます。
『テラグヮ』に続く小道の入口を通過し、奥へと進んでいき、突き当りのビニールハウス
の前を左折すると、その奥に『稲福寺跡』があります。

なんでも、この『稲福寺』は別称『熱田寺』とも呼ばれているんだとか。。。
稲福寺跡の写真
ビニールハウスの奥にある『稲福寺跡』
『稲福寺』の横には、その由来が記された石板が設置されていたんですが、劣化が激しく判読することができませんでした。。。

んで、ネットでいろいろ調べてみると、HN『クオックス』さんが手掛ける『沖縄の裏探検』というブログのページ『稲福(いなふく)寺跡』に、その由来のことが記載されていました。

記事によると、昔、村を治めていた熱田門中の初代にあたる人物が、仕事に向かう際、同じ所にある石で毎回躓いていたとのこと。
稲福寺(熱田寺)の写真
『稲福寺(熱田寺)』の横に設置されていた説明板。劣化が激しく文字が消えかかっていました。

不可思議に思い、ある日、その石を掘り起こしたところ、石の下から石像が出てきたんだそうで、その石像を現在の『稲福寺』のある場所に祀ったのが始まりとされているとのことです。

そして今日に至るまで、上稲福集落の人々の拝所となっているんだそうですよ。
※『沖縄の裏探検』:『稲福(いなふく)寺跡』の記事より一部引用
稲福寺(熱田寺)の写真
稲福寺(熱田寺)跡
稲福寺(熱田寺)の写真
内部にはたくさんの霊石が祀られていました。
この『稲福寺(熱田寺)跡』を見学した後、『慰霊之塔』の入口がある小道へと戻り、小道をさらに東側へと向かいます。

『慰霊之塔』と『テラグヮ』・『稲福寺』の入口から、東向けに約150mほど進んだところ左側の森の中に『アガリヌヒージャーガー』と呼ばれる井泉があります。
アガリヌヒージャーガーの写真
写真のほぼ中央付近に見える木と草の間が『アガリヌヒージャーガー』の入口です。
アガリヌヒージャーガーの写真
アガリヌヒージャーガー
こちらの『アガリヌヒージャーガー』も、まだ水を湛えているみたいで、コンクリートブロックで囲い、その横から水道管らしきホースが伸びていました。
アガリヌヒージャーガーの写真
ガー(井泉)の手前には香炉の代わりとなるブロックが置かれていました。
アガリヌヒージャーガーの写真
ガーの後方。草木が繁茂しており、深い森となっていました。
『アガリヌヒージャーガー』を見学した後は、一度集落の表の道まで戻り、集落の東側に位置する小高い丘へと向かいました。
中森御嶽の写真
表の道から見た『中森御嶽』。
以前ご紹介した『稲福ガイドマップ』の分布図によると、上の写真にある丘に『中森御嶽』があるとなっていたんですが、そこに向かう入口がなかなか見つかりませんでしたねぇ。。。(泣)

んで、上の写真に写っている道をゆっくり走らせていると、コンクリートで覆われた斜面に向かって右側から少し上がったところに、一ヵ所だけ小さな空間があるのを発見したんですよ‼

すぐさま、通行の邪魔とならないスペースにクルマを停め、その場所へ行ってみると・・・ありました‼『中森御嶽』‼(笑)
中森御嶽の写真
『中森御嶽』。写真中央から少し下側に小さな香炉があるのが見えますでしょうか?
ただ、こちらも長い間、人の手が入ってないようで、雑草が生い茂っていたため、それらをかき分けながら奥へ進んで行くと、雑草に埋もれた香炉を発見致しました!

『稲福ガイドマップ』によると⑧『中森の御嶽(なかむい ぬ うたき)』は、≪現在は各門中が遥拝所として利用している。≫とのことです。
中森御嶽の写真
『中森御嶽』の香炉。
いそいそと写真を撮り終え、すぐさま撤収(笑)

雑草がかなり繁茂していたため、ゆっくり見学することができませんでした(泣)

んで、『中森御嶽』を出た後、その道を挟んで斜め向かい側にある脇道へと進み、『仲村御嶽』に向かいました。
仲村御嶽の写真
仲村御嶽
こちらを訪れたことのある方たちのブログに掲載されている画像を見てみると、以前は、もっと小さな祠だったみたいで、しかも『仲村御嶽』に続く小道や祠周辺は草木の覆われていたみたいですね。

現在は、ご覧の通り、コンクリートブロックで大きく造り替えられてました。

・・・と、ここまで見学した後は、表の道を北西向けにクルマを走らせました。

『稲福ガイドマップ』によると、上稲福集落の北北西側に『カタカシラー』と呼ばれる拝所、西側に『イリの墓』があるとのことでしたので、帰りがけに立ち寄ることにしました。

まずは『イリの墓』。
イリの墓の写真
『イリの墓』の入口がある小道。
イリの墓の写真
『イリの墓』の入口。。。
ガイドマップで示している場所を見ると、表の道沿いにあるのかと思いきや、本線から逸れた小道に入り、案内板がある場所の向かい側の森の中に入って約30mほどの距離にありました(泣)
イリの墓の写真
入口を入ってきて真正面にあった『イリの墓』。
イリの墓の写真
もう1基の『イリの墓』はこの先にあります。
恐る恐る森の中の獣道を上がっていくと、岩壁を利用した古墓が2基あり、奥の古墓の前に『イリの墓』の標柱が立てられていました。
イリの墓の写真
もう1基の『イリの墓』
イリの墓の写真
奥の『イリの墓』から最初の『イリの墓』を見たところ。標柱が反対向きに立てられていました。
こちらも、いそいそと写真を撮り終え、すぐさま撤収。。。(笑)

いつ何時、藪から何が飛び出して来るか分かんないので、長居は無用です。

『イリの墓』を出た後、最後に『カタカシラー』を見学しに行きました。

『カタカシラー』も、表の道から少し入った場所にあったんですが、『イリの墓』よりは比較的楽に見学できました(笑)。
カタカシラーの入口の写真
『カタカシラー』の入口。
草の間から中へ入って行くと大きな岩壁があり、その中腹から根元までコンクリートブロックが積まれており、その手前に香炉が置かれていました。
カタカシラーの写真
『カタカシラー』
『稲福ガイドマップ』によると、⑩『カタカシラー』は≪唐船が目印にした岩といわれ、古墓としても知られている。 語源は形が士族の髷(カタカシラ)に似ていたことによる。≫とありました。
カタカシラーの写真
向かって右側の岩壁の根元にあった拝所。
カタカシラーの写真
向かって左側にあった古墓。
『カタカシラー』を見学した後は、ガイドマップの分布図に『イリヌヒージャーガー』も示されていたので、そちらも見学しようといろいろ探し回ったんですが、残念ながらこちらは発見することが出来ませんでした(泣)
上稲福集落の西側にある階段の写真
表の道から下へ降りる階段。この先に『イリヌヒージャーガー』があると思うのですが。。。
表の道から下に続く階段を見つけはしたのですが、階段の先が雑草に埋もれてしまっていて、その先へ進むことが出来ませんでしたね。。。
沖縄本島南部の景色の写真
『イリの墓』の入口から見た本島南部の景色。
あと、この上稲福集落の西側は絶景ポイントになっており、いい天気だと、八重瀬町・糸満市方面が一望でき、その先に東シナ海と慶良間諸島を臨むことが出来るんですよ。
稲福を詠んだおもろの写真
『イリの墓』入口近くに設置されていた『稲福を詠んだおもろ』。
んで、先程ご紹介した『イリの墓』の入口近くに『稲福を詠んだおもろ』の説明と『おもろさうし』の紹介が記された説明板が設置されていましたよん。

・・・と、ここまで見学した後は、そのまま帰宅の途に就きました。

今回、『稲福遺跡群』を3回に分けてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?

『稲福遺跡群』は、今回で終わりですが、以前ご紹介した『上稲福集落』近くにある『大城按司の墓』の道向かいにある『ウナザラのお墓』と『ウツーヌアジ墓群』、そして『大城城跡』の南側に『ぬる殿内』があるので、今度はそちらを順次ご紹介していきたいと思います。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

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☆『稲福遺跡群』

☆場所:〒901-1400
      沖縄県南城市大里大城(上稲福集落)

☆見 学:無料

☆駐車場:無し