◎琉球王国・第一尚氏王統第2代目の国王『尚巴志』とその父『尚思紹』によって築かれたグスク☆|沖縄放浪日記

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2016年1月8日金曜日

◎琉球王国・第一尚氏王統第2代目の国王『尚巴志』とその父『尚思紹』によって築かれたグスク☆

ハイサイ☆

今日(8日)の沖縄本島は、朝から愚図ついた天気となり、一日中パッとしない天気でした。。。

昨日(7日)の夜から天気が崩れ始め、気温も次第に下がってきて、ちょっと寒くなっちゃいましたね。。。( ̄▽ ̄;

予報によると、明日(土曜日)は、午前3時までは雨マークとなっており、朝方6時頃から夕方ごろまでは『曇り』となる模様・・・

晴れるのは、明日の夜からみたいですヽ(^。^;

はぁ。。。早く天気が安定してほしいものですね。。。

さてさて☆

昨日(7日)は、午後3時ごろから少し時間が空き、天気も良かったので、またまた南城市の『グスク』を見に行ってきました☆

南城市をはじめ、沖縄本島南部には『グスク』はもとより、数多くの『史跡』が点在してるので、史跡大好き人間のワタクシとしてはとても興味をそそられる地域となっております(笑)

んで、昨日は、時間的にもそんなに余裕がなかったものですから、回れた『グスク』は2ヵ所☆

今回は、そのうちの1ヵ所をご紹介させていただきたいと思います♪
※今回も、写真が中心になります(^^♪

沖縄県南城市佐敷字佐敷にある
『佐敷上グスク』
国道331号線から『佐敷上グスク』へ向かう道の入口にある月代宮鳥居☆
こちらは、南城市の国道331号線沿いにある『南城市立佐敷小学校』隣の、入口に『月代宮鳥居』と呼ばれる大きな鳥居が建てられた小道から入り、道なりに進んでいくと、道路沿い左側にあります☆

国道331号線沿いからも、大きな鳥居は見えますので、すぐに分かると思います☆
小道入口の『月代宮鳥居』の前には、案内板も設置されてます。
『月代宮鳥居』のすぐ隣には大きな木があり、その根元には『字佐敷風水』の祠がありました。
『月代宮鳥居』をくぐると、左側の大きな木の根元には『字佐敷風水』の祠、右側には『月代宮鳥居』の奉納者名が刻まれた石板があります。
月代宮鳥居奉納者名が刻まれた石板
この鳥居から、しばらく道なりに進んでいくと、道が二手に分かれる場所に辿り着きます。
鳥居からしばらく道なりに進んでいくと、道が二手に分かれる場所に着きます。
この分岐してる場所から、左側に進むと、『佐敷上グスク』があります。

・・・の前に、この分岐点の左側に『佐敷ノロ殿内』と呼ばれる拝所がありました。
分岐点のすぐ左側にある『佐敷ノロ殿内』
『佐敷ノロ殿内』
『佐敷ノロ殿内』横にある説明板によると・・・
≪ノロ(ヌル)は、琉球王府時代に村落のお祭りを行い、宗教的に村落を管理支配した女性神役です。

ノロ殿内とは、ノロの火の神を祭ってある建物のことをいいます。

初代佐敷ノロは苗代大親(尚思紹)の長女でした。佐敷ノロは代々、喜友名家の系統の女性でしたが、昭和初期まで継承していましたが、最後のノロが他界してからは後継者が途絶えています。
南城市教育委員会≫
・・・と、書かれていました。

現在は、佐敷ノロを受け継ぐ後継者が不在のままになってるんですね。。。
分岐点後方にある、以前は慰霊碑が建てられていた場所
過去に、こちらに見学に来たことがある方のブログを拝見させていただくと、この分岐点の後方には、『慰霊塔』が建てられていたみたいですが、ワタクシが訪れた時は、『慰霊塔』は無くなってました。

たぶん、どちらかへと移設したのでしょうね。

この『佐敷ノロ殿内』を見学した後、今度は『佐敷上グスク』を見学しに行きました。
『佐敷ノロ殿内』から見た『佐敷上グスク』の入口
『佐敷上グスク』の入口
『佐敷上グスク』の入口を入ってすぐ右側には、支那事変・大東亜戦等の戦没者の慰霊塔があり、左側には女官たちが働いていた場所と言われる『内原の殿(ウチバルヌトゥン)があります。
支那事変・大東亜戦等の戦没者の慰霊塔
『内原の殿』
『内原の殿』の内部
『内原の殿』の横にある説明板によると・・・
≪内原の殿は、上城の殿ともよばれ、女官たちの働いていた場所といわれており、もともとはカマド跡付近にあったと考えられています。

以前は粟石の柱で壁はありませんでしたが、昭和55年にコンクリートのほこらに建て替えられました。
南城市教育委員会≫
・・・と、書かれていました。

この慰霊塔と『内原の殿』を過ぎると、かなりの広さがある広場があります。
『佐敷上グスク』の前の広場☆写真正面の階段が『佐敷上グスク』・『月代宮』へと向かう入口
この広場の奥に、以前は展望台を兼ねる『東屋』があったみたいですが、こちらも先程の慰霊碑同様に無くなってました。

他のブログを拝見させていただくと、この『東屋』は老朽化が進んでたらしいので、もしかすると、撤去した後に新しい『東屋』を設置するのかもしれませんね。

この広場から、丘の上へと続く階段が、『佐敷上グスク』・『月代宮』への入口です。
『佐敷上グスク』『月代宮』の入口
入口には『月代宮』の石碑が建てられてます。
『月代宮』の石碑
『月代宮』入口にも鳥居が建てられており、灯篭もありました。奥に見えるのが拝殿。
『月代宮』入口の横にある説明板によると・・・
≪佐敷グスクは、三山を統一した尚巴志とその父尚思紹の居城跡といわれています。

1979年の発掘調査によって、青磁・白磁のお椀や皿、土器、石器、鉄釘や小銭などが出土しました。また、柱の穴のあとや土留めの石積みも確認されましたが、沖縄各地のグスクにみられるような石垣はまだまだ発見されていません。
さかえる町 しぜんの町 きぼうの町 佐敷町教育委員会≫
・・・と書かれていました。

この鳥居をくぐると、説明板の地図には『水飲み場』と記載された水盤が左側にあり、反対の右側奥には、『カマド跡』があります。
鳥居の左後方にある、説明板の地図に『水飲み場』と記載されていた水盤
水盤と反対側にある『カマド跡』
カマド跡
『カマド跡』横にある説明板には・・・
≪グスク時代のカマド跡といわれており、火の神(ヒヌカン)を祭ったところと考えられています。

また、この辺りは女官たちの働いていた場所といわれています。そのようなことから、女官の詰所といわれる内原の殿は、もとはこのカマド跡にあったともいわれています。
南城市教育委員会≫
・・・と、書かれていました。

月代宮の参道と、この『カマド跡』の間から、月代宮の拝殿方向へと続く石段があり、その先には『尚巴志王之跡(?)』と刻まれた石碑が建てられてました。
『尚巴志王之跡(?)』と刻まれた石碑へと続く石段
『尚巴志王の跡(?)』と刻まれた石碑
この石碑を見学した後、いったんカマド跡前に戻り、参道から『月代宮』を見学しに向かいました。
『月代宮』の拝殿
拝殿は、内部に『天井崩落の危険性がある為 建物内立ち入り禁止』と書かれた立て看板があったので、今回は遠慮して、拝殿を迂回し、本殿を見学しに行きました。
『月代宮』の本殿
正面から見た本殿
本殿にある香炉と無造作に置かれた石碑
石碑には『御先神様 佐敷世之主 國之主』と刻まれてました。
『月代宮』は、1938年に第一尚氏の王統が祀られ、王統の守護神である『つきしろ』にちなんで命名されたんだとか。

また、佐銘川大主・尚思紹王・尚巴志王・尚忠王・尚思達王・尚金福・尚泰久王・尚徳王が合祀されているんだそうですよ。

この本殿の裏手側に回ると、少し開けた場所があり、その奥に『上グスク之嶽』と呼ばれる拝所があります。
『月代宮』本殿の裏手側
『上グスク之嶽』
『上グスク之嶽』の横にある説明板には・・・
≪拝所巡礼「東御廻り(アガリウマイ)」のコースの一つで、『琉球国由来記』には、祭神としてステツカサノ御イベ・若ツカサノ御イベの二伸が記されています。

もともとこの場所にあったのかは、まだ分かっていません。
南城市教育委員会≫
・・・と、書かれていました。

この『上グスク之嶽』まで見学して、こちらを後にしてしまったんですが、自宅に戻って調べてみると、なんと、『上グスク之嶽』がある広場の近くに、『親井』と呼ばれる井泉があるんだとか。。。
月代宮の広場から見た景色
今回は、完全に見落としてしまってましたね。。。

ですが、この『佐敷上グスク』近隣には、まだまだいろんな史跡があるみたいなので、また南城市を訪れた際に、この『親井』も訪れて、こちらに写真をアップしたいと思います。

かなり長くなってしまいましたが、今回はこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『佐敷上グスク(月代宮)』☆

☆場所:〒901-1403
      沖縄県南城市佐敷字佐敷 島之上原1151

☆問い合わせ:098-946-8817(南城市 観光・文化振興課)

☆時間:自由見学

☆駐車場:あり

☆トイレ:無し