豊見城市渡橋名の標高約64mの丘陵上に位置するグスク跡☆|沖縄放浪日記

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2017年10月18日水曜日

豊見城市渡橋名の標高約64mの丘陵上に位置するグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した豊見城市伊良波の『伊良波収容所跡』『ウブガー』・『クムイガー』などを見学した後、伊良皆区の南東側に隣接する同市渡橋名にある標高約64mの丘陵へと向かいました。

沖縄県豊見城市渡橋名にある

『渡橋名グスク』

渡橋名グスクの写真
グスク域内の大きな石灰岩上にある2基の拝所。
こちらは、まず豊見城市の国道331号線県道249号線がぶつかる『翁長(北)』の交差点から、同市与根向けに進み、最初の『渡橋名』の信号を右折します。

そして『豊見城市立座安小学校』の前の信号を通過して約420mほどの距離にある信号を左折し、約200mほど進んでいくと、左側にあります。
渡橋名グスクの写真
以前訪れた渡嘉敷集落から見た『渡橋名グスク』遠景。
こちらに到着したのは、夕方の4時を少し回ったくらい。。。

グスク域入口前にクルマを停め、さっそく見学へと向かいました。
渡橋名グスクの写真
丘陵の北東側にある貯水タンク
グスク域へは、丘陵の北東側にある貯水タンクのすぐ横から向かうことができます。

ネットで見つけた豊見城市の資料によると、『渡橋名グスク』は地元では『渡橋名御嶽』と称されているんだそうで、内部には"拝所"や"井泉(カー)"などが点在しているんだそうですが、城壁などの遺構はないのだそうです。
渡橋名グスクの写真
貯水タンク横のグスク域入口。
表の道路から貯水タンク横の小道を入って行くと、茂みに覆われた岩とフェンスの間に獣道があります。

グスク域内の発掘調査では、グスク土器、輸入陶磁器(青磁・白磁・染付陶器)等が採集されているのだそうです。
渡橋名グスクの写真
ちょっと分かりづらいですが、茂みとフェンスの間に獣道があります。
そして、その他には食糧にしていたと思われる貝や牛、馬の骨も採集されているとのことですよ。

んで、獣道を入って行くと、すぐに道幅が広くなり、二手に分かれた分岐点に差し掛かります。
渡橋名グスクの写真
細い獣道を入ってきたところ。道が二手に分かれていますが、道幅は広くなっています。
まずは左へ伸びる道へ進んでいくと、大きな岩のある開けた場所に差し掛かるんですが、道沿い右側にある岩に隣接する真新しさが残る"御墓"が現われます。
渡橋名グスクの写真
上代 保栄茂城 奴留神の墓 神世 天孫子
墓碑には、『上代 保栄茂城 奴留神の墓 神世 天孫子』と記されていました。

なぜこの『渡橋名グスク』内に『保栄茂グスク』に関連する"御墓"があるのか、とても不思議だったので、自宅に戻ってからネットでいろいろ調べてはみたんですが、残念ながら資料などが出て来ず、詳細は不明です。。。

また、この"御墓"の後方にも"拝所"が設けられていました。
渡橋名グスクの写真
『奴留神の墓』の後方にある拝所。
そして、この『奴留神の墓』の右斜め向かいにも大きな岩があるんですが、その根元にも"拝所"らしき場所がありました。
渡橋名グスクの写真
『奴留神の墓』の右向かいにある巨岩。
渡橋名グスクの写真
巨岩の根元にあった"拝所"。
そして、この"拝所"のすぐ左側に細い小道があったので、そちらへ行ってみると・・・
渡橋名グスクの写真
巨岩の裏側にあった2基の"拝所"。
そこには開けた場所があり、巨岩の根元に"拝所"が2基ありました。

この場所には、この2基の"拝所"のみだったので、先程の『奴留神の墓』の前に戻り、獣道をさらに奥へと進みます。
渡橋名グスクの写真
『奴留神の墓』の向かい側にある巨岩の右側から獣道が奥へと続いています。
巨岩の右側から裏手へ回り込むと、また"拝所"が2基あります。
渡橋名グスクの写真
巨岩の裏側にあった2基の祠。奥の祠の前には3基の香炉が並べて置かれていました。
また、この2基の"拝所"の後方、巨岩の上にも"拝所"が2基ありましたが、その内の1基は岩と岩の隙間にあり、ちょっと見つけにくかったですね。
渡橋名グスクの写真
上の写真に写っている2基の"拝所"のうちの1基。祠内部には霊石が数基納められていました。
渡橋名グスクの写真
もう一方の"拝所"。こちらは岩を繰り抜いて作られており、手前に3基の香炉が置かれていました。
渡橋名グスクの写真
巨岩の上にあったニービ(砂岩)が立てられた拝所。
渡橋名グスクの写真
巨岩の上のもう一方の"拝所"。こちらは石碑らしきものが破損した状態で置かれていました。
この4基の"拝所"のある場所から獣道をさらに奥へ進んでいくと、開けた場所に辿り着きます。

この小さな広場の入口横の草むらにも、また"井戸跡"のような"拝所"がありました。
渡橋名グスクの写真
4基の"拝所"がある巨岩を背に獣道の先を見たところ。
渡橋名グスクの写真
獣道から広場に出てすぐ右側にあった"井戸跡"のような"拝所"。香炉が1基設置されていました。
この"井戸跡"のような"拝所"のある広場の右奥を見ると、その先にもまた道が続いているようでしたので、そちらの方へ行ってみると・・・
渡橋名グスクの写真
"井戸跡"のような"拝所"のある広場の奥を見たところ。その先にも獣道が続いているようでした。
渡橋名グスクの写真
"井戸跡"のような"拝所"の広場の奥にあった一際広々とした広場。
また一際広い広場がありました。

この広場の奥の方に石積みの祠があったので、そちらの方へ近づいてみると・・・
渡橋名グスクの写真
祠内部に霊石が納められた"拝所"。
祠内部に霊石が納められた"拝所"となっており、祠を挟んだ両側にも霊石らしき石が数基置かれていました。

この霊石が祀られた"拝所"の左後方に、また獣道があったので、そちらの方へ歩を進めようとすると、獣道入口のすぐ右側の木の根元にも"拝所"の石積みがありました。
渡橋名グスクの写真。
霊石が祀られた"拝所"の左側にあった獣道。右側の獣道は行き止まりになっていました。
渡橋名グスクの写真
獣道入口の右側の木の根元にあった"拝所"。
この石積みの"拝所"を後にし、獣道を入って道なりに進んでいくと、グスク域入口の方に繋がっていました。

・・・が、グスク域入口の分岐点手前左側に脇道があったので、今度はそちらの方へ行ってみることにしました。
渡橋名グスクの写真
グスク域入口を背にして今来た獣道を見たところ。右側の方に脇道があるのが見えます。
渡橋名グスクの写真
脇道入口から道の奥を見たところ。
脇道に入ってしばらく歩いていくと、右側の方に大きな祠を発見しました。
渡橋名グスクの写真
脇道を入って来たところにあった拝所。内部には数基の香炉や霊石が祀られていました。
この大きな祠の"拝所"を後にし、さらに獣道の先へ行ってみると、突き当り右側にコンクリートブロックで囲われた"井戸跡(カー)"がありました。
渡橋名グスクの写真
獣道の突き当りにあった"井戸跡(カー)"。
また、この"井戸跡"の後方の林の中にも"拝所"が2基ありました。
渡橋名グスクの写真
上の写真の"井戸跡"の後方にあった"拝所"。香炉の後方にニービ(砂岩)らしき石が数基置かれていました。
渡橋名グスクの写真
奥の方にあったもう一方の"拝所"。
・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、そのまま来た道を戻り、グスク域を出ました。

この『渡橋名グスク』のある丘陵の北側には畑があるんですが、グスク域を出た後にちょこっとそちらの方へ行ってみると、その畑の一画にも小さな"井泉(カー)"がありました。
渡橋名グスクの写真
畑の一画にあった"井泉(カー)"。現在も水を湛えているらしく、畑の水やりに利用されているようでした。
こちらの"井泉(カー)"まで見学させて頂いた後は、そのままクルマへと戻り、次の目的地へと向かいました。

今回、いろいろ調べていくと、この『渡橋名グスク』のある丘陵の北西側には『座波名森(若知花盛)』と称される森があるとのこと。

この『座波名森(若知花森)』と『渡橋名グスク(渡橋名御嶽)』を総称して『座安古島遺跡』となっているようですね。
(たぶん正式名称が『座安古島遺跡』となっているのだと思います。あくまでワタクシ個人の憶測ではありますが。。。)

豊見城市の資料によると、『豊見城市史』には、かつて古い時代には座安と下座安が合併し、現在の字座安と字渡橋名が形成されたと記されているんだそうです。

古い時代の座安集落は、この遺跡が存在する一帯にあり、下座安集落は"現在の"座安付近にあったとんだとか。。。

そして、座安古島遺跡にいた人々が、後に下座安と渡橋名に移動し、現在の座安と渡橋名集落を形成していったんだそうですよ。
(参考資料⇒『座安古島遺跡』)

この日は、ちょっと時間がなかったので、『座波名森(若知花森)』や座安集落まで回ることが出来なかったので、また機会を設けて、そちらの方にも足を運んでみたいですね。

今回は、ちょっと長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

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『渡橋名グスク

☆場所:〒901-0222
      沖縄県豊見城市渡橋名5

☆見 学:無料

☆駐車場:無し(グスク入口前に車1台分のスペースあり)

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。

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