那覇市小禄の区内に残る"火之神"をはじめとする拝所や井戸跡などの史跡群☆|沖縄放浪日記

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2017年10月12日木曜日

那覇市小禄の区内に残る"火之神"をはじめとする拝所や井戸跡などの史跡群☆

どーもども⭐

前々回にご紹介した那覇市小禄の『森口公園』内にある『小禄ノ嶽』を見学した後、一旦クルマに戻ったんですが、スマホでちょこっと調べてみると、同区内にも"火之神"や"ビジュン"などの拝所が点在しているらしいので、今度は区内を散策してみることにしました。
※今回も少し長くなりますので、ご了承下さい。。。🙇

沖縄県那覇市小禄の区内にある

『拝所・石畳・井戸跡などの史跡群』

小禄里主所火神の写真
閑静な住宅街の一画にひっそりと佇む『小禄里主所火神』。
那覇市教育委員会文化課が発行している文献『小禄まーい』の中にある『小禄ノ嶽まーい』を見てみると、『森口公園』からそのまま坂を下っていくと、すぐ右側に『カミガー(カミンガー)』と呼ばれる"井戸跡"があるとのこと。

なので、まず最初に『小禄ノ嶽まーい』の分布図が示すその場所に行ってみると・・・
カミガー(カミンガー)の写真
『カミガー(カミンガー)』があった場所。
綺麗に手入れされた木々が植えられており、"井戸跡"らしき遺構は見当たりません。。。

唯一、"井戸跡"っぽい痕跡といえば、土地の一画にコンクリートブロックで造られた四角い箱状のものがあるのみでした。
カミガー(カミンガー)の写真
木々が植樹された場所の一画にあったコンクリートブロックで造られた箱状のもの。
先程の『小禄ノ嶽まーい』によると、かつては馬を洗うために使用されていたんだそうです。

この『カミガー(カミンガー)』跡からさらに坂を下ると、道沿い右側に小さな丘があり、そこにいくつかの祠らしきものが見えたので、そちらへ上ってみると・・・
賓頭盧(ビジュン)の写真
『賓頭盧(ビジュン)』の拝所がある小さな丘。右の道を上がっていくと『森口公園』です。
『賓頭盧(ビジュン)』を刻まれた小さな石碑の立つ"拝所"がありました。
賓頭盧(ビジュン)の写真
『賓頭盧(ビジュン)』。
その場所には、コンクリート製の祠が中央付近に立てられており、内部にはいくつかの霊石と香炉が1基納められていました。
賓頭盧(ビジュン)の写真
『賓頭盧(ビジュン)』の祠。その後方にもいくつかの小さな祠がありました。
また、祠の後方にも三角屋根の小さな祠がいくつかありましたね。

この屋根の形の祠は、字小禄のオリジナルなんだそうですよ。
賓頭盧(ビジュン)の写真
大きな祠の右後方にある2基の小さな祠。
『賓頭盧(ビジュン)』は、もともとは沖縄の神様ではなくう、外国の神様とのことです。

インドの仏教を護持しようと誓ったとされる十六羅漢の筆頭で仏様をお守りするための修行者の一人なんだそうです。
賓頭盧(ビジュン)の写真
祠の左後方。5基の祠がありました。
また、日本では撫で仏として尊ばれてきたんだそうで、沖縄ではいろいろな役割の神様に変化してきたと考えられているとのことです。
※(参考資料⇒字小禄財産管理運営会『小禄字誌 編集委員会だより No.2』)

こちらの拝所は、旧暦の4月の『腰ユックイ(クシユックイ)』(農民の一年間の収穫祝い)という年中行事の際に、野菜のおつゆや豚肉の煮物をお供えするのだそうですよ。
※(参考資料⇒『旧小禄村における年中行事』)

この『賓頭盧(ビジュン)』の"拝所"を後にし、さらに坂を下っていくと、その下を横切る道路の手前右側に広場があり、そこには大きな石碑が建立されていました。
正七位 高良隣徳先生顕彰碑の写真
正七位 高良隣徳先生顕彰碑。
石碑には、『正七位 高良隣徳先生顕彰碑』と刻まれており、下部に経歴と碑文が記されていました。

その碑文を読んでみると・・・
≪正七位 高良隣徳先生顕彰碑≫
≪明治五年 小禄村字小禄 屋号 沢岻で出生
明治二九年 東京高等師範学校卒業
明治四四年 県立第二中学校初代校長
大正五年 県会議員当選
大正六年 沖縄県議会第五代議長
大正八年 議長在職中死去
正七位 高良隣徳先生顕彰碑の写真
正七位 高良隣徳先生顕彰碑。台座部分には石像が納められていました。
先生は「教育によるに非ずんば未来永劫他と平行するを期すべからず」と叫ばれ教育立県に全力をつくされた。

又当時の官僚の独断的植民地視に抗して県政に参画し県民福祉のため活躍されました。≫
・・・とありました。

この"顕彰碑"がある広場の、『森口公園』へ伸びる道路を挟んで反対側には『字小禄ハワイ会館』という建物があるんですが、この会館の前の道路を挟んだ向かい側に細い階段があります。
字小禄ハワイ会館の写真
字小禄ハワイ会館。
その階段を少し下りていくと、その途中にも"拝所"がありました。
字小禄の拝所の写真
『高良隣徳先生顕彰碑』と『字小禄ハワイ会館』の道向かいにあった拝所。
こちらの拝所は、『小禄ノ嶽まーい』や『社団法人 那覇市観光協会』の『那覇まちま~い』等には記されておらず、残念ながら名称などは不明です。。。

こちらの拝所を見学した後、階段を引き返して『字小禄ハワイ会館』前の道路に戻り、
西側へと移動します。

"会館"前から約140mほど進んでいくと、『小禄ノ嶽まーい』によると、この付近に『イリガーガー・アシビナー跡』があるとのことでしたが・・・
『字小禄ハワイ会館』から西へ約140mほど進んできたところ。
分布図に示された周辺をちょこっと見て回ったんですが、こちらも残念ながら"井戸跡"らしき遺構は見つけることが出来ませんでした。。。

んで、この約140m地点からさらに西向けに約30mほど進むと、右側に中ほどまで砂利が敷かれた小道があるんですが、その先に行ってみると・・・
小禄里主所火神の写真
『小禄里主所火神』に通ずる小道。
木々に囲まれた赤瓦屋根の『小禄里主所火神』と称される拝所があります。

祠の内部には、手前側に香炉と祭壇が置かれ、その後方には霊石が祀られていました。
小禄里主所火神の写真
小禄里主所火神。
また、祠へ続く参道の両側には植木が並べて置かれており、手入れが行き届いてて、とても綺麗な状態が保たれていましたね。

この『小禄里主所火神』は、小禄間切全体の"火ヌ神"なんだそうで、こちらも"小禄ノロ"が司っているとのことです。
※(参考資料⇒字小禄財産管理運営会『小禄字誌 編集委員会だより No.1』)

この『小禄里主所火神』を見学した後、再び『字小禄ハワイ会館』向けに進み、会館を通過してすぐ右側に細い石畳があります。
字小禄の神通と呼ばれる石畳の写真
坂下から見た『神通(カミミチ)』と呼ばれる石畳。
この『神通(カミミチ)』と呼ばれる石畳は、祭祀が行われる際に"ノロ"が御嶽へ向かうための"道"だったのだそうです。
※(参考資料⇒『那覇まちま~い ④小禄に残る古道を歩く』)

そして、この石畳の中間あたり右側に脇道があるんですが、その脇道奥に『小禄ノロ火之神』が祀られている『小禄呑殿内(ウルクヌンドゥンチ)』があります。
小禄ノロ火之神の写真

『小禄呑殿内』は、上の写真に写っている赤瓦屋根の建物の後方の屋敷で、この赤瓦屋根の建物は『神アシャギ』なんだそうです。
※(参考⇒那覇市歴史博物館『小禄ノロ殿内』)

この『神アシャギ』のある場所から、先程の『神通(カミミチ)』の石畳を下り、石畳終点を左折すると、すぐ右側に『ヌールガー跡』があります。
ヌールガー跡の写真
ヌールガー跡。
こちらの"井戸跡"についての資料は見つけることが出来なかったため、詳細は不明ですが、"井戸跡"の名称とすぐ近くに『小禄呑殿内』があることから、かつては"ノロ"が使用していた"井戸"であったと思われます。
※あくまで個人的な憶測なので、定かではありませんよ。

『ヌールガー跡』を見学した後、東向けに進むとすぐ南北に伸びる道に出ます。

今度は、この道を北向けに約70mほど進んでいくと、2基の"井戸跡"があります。
カーとビンガーの写真
この小道の中間あたりと奥に2基の"井戸跡"があります。
手前にある『カー』(井戸跡)は、『小禄ノ嶽まーい』にも『カー』としか記されておらず、正式名称は不明です。
字小禄のカー(井戸跡)の写真
カー(井戸跡)。
この『カー』からさらに奥へ進んでいくと、2基めの"井戸跡"『ビンガー』があります。
ビンガーの写真
ビンガー。
こちらの"井戸跡"も詳細は不明なんですが、井戸の後方の草むらの中に小さな石碑が設置されていました。
ビンガーの写真
『ビンガー』の後方に立てられていた小さな石碑。
『カー』は、旧暦の五月・六月の年中行事『ウマチー』の際の"拝み"のコースにも入っており、こちらもその"拝所"のひとつとなるみたいですね。

この2基の"カー(井戸跡)"を後にし、一旦『森口公園』の入口前に向かいます。

んで、公園入口から東へと伸びる遊歩道があるんですが、今度はその先へと進みます。

ちなみにこの遊歩道は、かつては"石畳の道"だったそうですよ。

この遊歩道を進んでいくと、途中から階段になっており、階段下は急激に狭まりますが、そこを抜けると、左側に『クシンカーガー』という"井戸跡"があります。
後ン川ガー(クシンカーガー)の写真
後ン川ガー(クシンカーガー)。
『那覇まちま~い ④小禄に残る古道を歩く』によると、この『後ン川ガー(クシンカーガー)』は、小禄村の古い旧家の敷地に隣接しており、かつてはノロ専用の井戸として使用され、村の人は使用することが出来なかったんだそうです。
後ン川ガー(クシンカーガー)の写真
『後ン川ガー』。左側に香炉が1基置かれており、香炉にも『後ン川ガー』と記されていました。
『後ン川ガー』の横には、水道ポンプらしき装置が設置されたコンクリート製の貯水槽らしき建造物が建てられており、現在も利用されているようでした。

この『クシンカーガー』からさらに東へ進み、『ナカミチ』と称される道に出ます。

そしてこの『ナカミチ』を北へ進んでいくと、右側に『ミーガーモー』と呼ばれるかつての小禄村の『アシビナー(遊び庭)』があります。
ミーガーモーの写真
ミーガーモー。
『ミーガーモー』には、1基の香炉と霊石が納められた祠と『原石(ハルイシ)』と称される丸い石が祀られています。
ミーガーモーの写真
『ミーガーモー』の拝所(右)と『原石(ハルイシ)』(左)。
『原石(ハルイシ)』は、琉球王府が測量を行う際に図根点(ずこんてん)として使用した石のことです。
ミーガーモーの写真
『ミーガーモー』の拝所。
原石(ハルイシ)の写真
原石(ハルイシ)。
そして、『ミーガーモー』から北へ約20mほど進むと、左側に『班ヌカー』と呼ばれる"井戸跡"があります。
班ヌカー。
こちらは、コンクリートで大きく造られており、今まで見て来た"井戸跡"の中で一番多きかったですね。

そして、『小禄ノ嶽まーい』によると、『班ヌカー』から北へ約65mほど距離右側に『九班ヌカー』があるとのことで、分布図にあるイラストでは『班ヌカー』とほぼ同サイズの大きさらしいんですが、その場所へ行ってみるとそのような"井戸跡"は見当たりません。。。

んで、その周辺をちょこっと見渡してみると、駐車場の一画に小さな祠と筒状のものが設置されているのを見つけました。
九班ヌカーの拝所の写真
『九班ヌカー』の拝所(?)
もしかすると、何らかの理由で『九班ヌカー』は取り壊されて、現在の駐車場の下に埋められてしまい、この筒状のものは空気穴か何かのために設置されたのかもしれませんね。。。
※あくまで憶測なので、定かではありませんよ。。。

そして、この場所から『ナカミチ通り』をさらに北上し、県道221号線に出て左折すると、すぐ左側に『後原ヒージャー小(ヒーザーガー)』と呼ばれる拝所があります。
後原ヒージャー小(ヒーザーガー)の写真
後原ヒージャー小(ヒーザーガー)。
この『後原ヒージャー小(ヒーザーガー跡)』は、小禄村の"ムラガー(村井戸)"の一つなんだそうで、かつては豊富な水量を湛えていたんだそうです。

昔ほどではないそうですが、現在も水を湛えているとのことですよ。
ワタクシが訪れた際は、水は見当たりませんでしたが。。。
後原ヒージャー小(ヒーザーガー跡)の写真
後原ヒージャー小(ヒーザーガー跡)。
・・・と、ここまで見学した後は、今来た道を戻り、『森口公園』入口へと向かいました。

公園入口まで戻ってきた時に、再度、資料に目を通すと、あと一ヵ所"石畳"が残されているのを発見してしまいました(泣)

冒頭でご紹介した『カミガー(カミンガー)』横の小道から入って、突き当りを右折すると、すぐ左側に綺麗な『石畳』の道がありました。
字小禄の石畳の写真
『森口公園』入口近くにあった『石畳』。
また、この『石畳』前の小道沿いにも小さな"井戸跡"もありましたよぉ~。
字小禄の井戸跡の写真
『石畳』近くにあった小さな"井戸跡"。
ちなみに、この"井戸跡"から南側へ進むと、急勾配の坂道となっており、雨が降ると滝のように水が流れていくんだそうですよ。

・・・と、ここまで見学した後は、そのままクルマへと戻り、次の目的地へと向かいました。

今回は、3回に分けて那覇市小禄内にある史跡をご紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか?

もし興味がある方は、以前ご紹介した『小禄グスク』『小禄ノ嶽』を訪れた際には、区内をゆっくり散策してみて下さいね。

それでは、かなり長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『小禄区内に点在する史跡

☆場所:〒901-0152
      沖縄県那覇市小禄(字)

☆見 学:無料

☆駐車場:あり(森口公園)

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。