『フェンサ城貝塚』の南に位置する名城集落内に点在する史跡☆|沖縄放浪日記

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2017年12月12日火曜日

『フェンサ城貝塚』の南に位置する名城集落内に点在する史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した糸満市の小波蔵集落内に点在する拝所を見学した後、この日最後に向かったのは、以前ご紹介したことのある糸満市名城の『フェンサ城貝塚』の南側に位置する名城集落です。

小波蔵集落ほどではないんですが、こちらの集落内にもいくつかの史跡が点在しているんですよ。

沖縄県糸満市名城に点在する

『カチン山などの史跡』

カチン山の写真
糸満市の『名城』のバス停後方に位置する『カチン山』。
まず最初に向かったのは、名城集落内を南北に走る片側一車線の道路にある『名城』のバス停。

この『名城』の南向のバス停後方に、大きな木が立っているんですが、その根元には石灰岩があり、ここは『カチン山』と称される"拝所"になっています。
カチン山の写真
石灰岩の頂部に位置する『カチン山』の拝所。
石灰岩の頂部は少し平たくなっており、その奥に『カチン山』と記された標柱が立てられています。
カチン山の写真
カチン山。
岩の側面を方形に削って造っており、その手前に1基の香炉が置かれていました。

岩の形から墓口のようにも見えるんですが、名城集落内に点在する拝所についても、ネット上には資料などが見当たらず、詳細は不明です。。。(泣)

また、この『カチン山』のすぐ隣に一段低くなった場所があるんですが、そこには『神ガー』と呼ばれる井戸跡があります。
神ガーの写真
『カチン山』のすぐ隣にあった一段低くなった場所。
こちらは、少し窪んだ所を石積みで囲ってあり、木の根元付近に『神ガー』と記された小さな石碑が立てられています。
神ガーの写真
神ガー。
『カチン山』や『神ガー』を囲う石積みは崩れたそのままの状態で放置されているようなんですが、定期的に清掃が行われているらしく、比較的綺麗な状態が保たれていましたね。

この『カチン山』と『神ガー』を見学した後、『名城』のバス停から南向に約100mほど進んでいくと、右側に『名城ビーチ』へ向かうことの出来る片側一車線の道路があるので、そちらへ右折しました。

右折すると、すぐに下り坂に差し掛かるんですが、この坂道沿いにも"拝所"などの史跡が4つほど点在しています。
名城の石獅子の写真
路肩に安置された『名城の石獅子』。
んで、坂の下にある史跡から順にご紹介すると、一番下にあるのは『名城の石獅子』です。

"石獅子"の手前には1基の香炉が置かれており、こちらも"拝所"となっているようでしたね。
名城の石獅子の写真
名城の石獅子。
また、この『名城の石獅子』について調べてみると、沖縄本島の中で一番南にある"石獅子"なんだそうで、なんでも、かつて盗まれたことがあり、数か月後に戻って来たんだとか😲💦

一度盗難にあったためか、トンブロックにしっかりとモルタルで固定されていました。

そして、坂道を戻るようにして上がっていくと、今度は道路沿いの植木の間に小さな慰霊碑と拝所があります。
大東亜戦争参加者之碑と白髪の嶽の写真
道路沿いにある慰霊碑と拝所。
まずは"慰霊碑"を見てみると、『大東亜戦争参加者之碑』と記されていました。
大東亜戦争参加者之碑の写真
大東亜戦争参加者之碑。
また慰霊碑には碑文が記されており、「大東亜戦争三十三年忌にあたり字名城戦斗協力者二百五十九名を慰めご冥福を祈る 昭和五十二年六月二十二日 名城字民一同」とありました。

今まで見て来た集落の戦没者慰霊碑は、公園や公民館などの敷地内とかに建立されていたりしてたんですけど、まさか道路沿いに建立されているとは・・・

もしかすると、もともとは別の場所に建立されていて、何か理由があって、この場所に移設したのかもしれませんね。
※あくまでワタクシ個人の憶測ですが。。。
白髪の嶽の写真
白髪の嶽。
そしてもう一つの"拝所"は『白髪の嶽』と記された石柱が立てられており、その手前に小さな祠が置かれ、祠の内部と手前に合計4基の香炉が置かれていました。

この『白髪の嶽』を見学していると、すぐ近くに住む集落の人に遭遇し、「ここは"御嶽"だよ」と教えて下さいました。

なぜ『白髪の嶽』と称されるのか、後日ちょこっと調べてみると、琉球第二尚氏王朝 第11代国王の『尚貞王』に関係しているんだとか。。。
白髪の嶽の写真
祠に隠れて見えませんでしたが、ちゃんと『白髪の嶽』と記されています。
『尚貞王』は、"白髪になるまで長命して「ミシラギ王」(美白髪王)と呼ばれた"とのこと。
(参考⇒Googleブック『首里城物語』)

その『尚貞王』=『美白髪王』にちなんで『白髪の嶽』と呼ばれるようになったようですね。
※詳細は不明ですが、『尚貞王』が関係していることは確かなようです。

そして、この『白髪の嶽』がある場所から少し離れた場所には『馬乗り石』という"拝所"があります。
馬乗り石の写真
『馬乗り石』の拝所。
先述した集落の人の話によると、この拝所に置かれた"石"は、王族の人が馬に乗り降りする際に使っていた石なんだそうです。

また、名城集落には7つの門中があり、第二尚氏時代の王族との繋がりがあったとも教えて下さいました。
※ (参考⇒Wikipedia『門中(ムンチュー)』)

ほいで、この『馬乗り石』や、先述してきた『白髪の嶽』、『大東亜戦争参加者之碑』の前の道路は新道なんだそうで、『馬乗り石』や『白髪の嶽』がある側が旧道になっているとのことです。

そして『馬乗り石』の後方の現在新道が通っている場所には、かつて王族の御墓があったんだそう。。。

道路を造る際に、御墓を残してほしいと集落の人々の要望があったため、道路下に保存されることとなったんだそうです。
名城集落の写真
御墓を保存するための通気口。
んで、その御墓を保存するための通気口が『馬乗り石』がある場所の道路反対側にあるとのことで、案内して下さいました。

現在、御墓自体を直接見ることは出来ないそうなんですが、今でもこの通気口前で拝みを行う人がいるんだそうですよ。
名城集落内にある拝所の写真
名城集落内にある拝所。
・・・と、こちらの通気口を案内して頂いた後は、集落の人と別れ、最後に集落内にある拝所を見学しに向かいました。

教えてもらった"拝所"は、"月"に纏わる拝所なんだそうで、その対になる"太陽"を祀る"拝所”もあるとのこと。

しかし、この日はだいぶ日も暮れて暗くなってきてしまっていたので、もう一方の"太陽"に纏わる拝所は断念し、そのままクルマへと戻って帰宅の途に就きました。

いかがでしたでしょうか?

今回、『チチャマグスク』をはじめ、字小波蔵・字名城2つの集落内に点在する"拝所"や"井戸跡"、そして"グスク"などの史跡をご紹介してきましたが、糸満市内にはまだまだ多くの史跡や戦跡が点在しています。

・・・なので、また足を運んで少しずつご紹介していければと思います。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『名城集落内の史跡

☆場所:〒901ー0351
      沖縄県糸満市名城

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。